備前福岡郷土館

備前福岡郷土館

岡山県瀬戸内市長船町福岡、大正3年築の旧平井医院を再生し、備前福岡史跡保存会が運営するミュージアムが備前福岡郷土館。中世に山陽道屈指の賑わいを見せた備前福岡の歴史を中心に、「備前福岡名所町、七口、七つ井戸、七小路」といわれた繁栄を様々な史料から学ぶことができます。

備前福岡の繁栄の歴史を学ぶ

中世山陽道で随一の繁栄を誇った備前福岡の歴史関係の史料のほか、平井家所蔵の古い医療関係、日常生活用具、福岡の明治・大正時代の古い写真など多彩な展示品があります。

弘安元年(1278年)、時宗の開祖・一遍(いっぺん)が福岡の市で説法する様子を描いた『一遍上人聖絵「福岡の市」』(清浄光寺所蔵全12巻/国宝)には、鎌倉時代の備前福岡の繁栄ぶり、福岡の市で売られる品々が生き生きと描かれていますが、備前福岡郷土館のデジタルミュージアムで閲覧することができます。
13歳で一遍が旅立つときから入滅まで48段になって諸国を遊行するその生涯が描かれ、風景画としても当時の世相がよくわかる史料となっています。
全12巻で、第4巻に福岡の市が異なる時間を一つの構図の中に描き込む「異時同図法」で描かれています。

『一遍上人聖絵「福岡の市」』
『一遍上人聖絵「福岡の市」』(国宝・部分拡大)

福岡県福岡市は、備前福岡に由来する地名!

黒田高政は、永正8年(1511年)の船岡山合戦(ふなおかやまがっせん)に六角方として参戦。
六角高頼の命に背いたため親族を頼って備前福岡に移り、その子・黒田重隆(黒田官兵衛の祖父)は浦上氏、小寺氏に仕えて、後に姫路城の城主となっています。

黒田重隆の曾孫(ひまご)・黒田長政が筑前国に封じられた際、新しい本拠城の名称を黒田氏ゆかりの備前福岡からとり、福岡城と名付けたので、福岡県福岡市の福岡は、この備前福岡に由来する名前ということに。

備前福岡郷土館
名称 備前福岡郷土館/びぜんふくおかきょうどかん
所在地 岡山県瀬戸内市長船町福岡758
関連HP 備前福岡郷土館公式ホームページ
電車・バスで JR長船駅から徒歩20分
ドライブで 山陽自動車道山陽ICから約10km
駐車場 3台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
備前福岡の町並み

備前福岡の町並み

岡山県瀬戸内市の旧長船町域にある古い家並みが、備前福岡の町並み。「備前福岡名所町、七口七つ井戸七小路」といわれ、中世に山陽道屈指の繁栄を見せた町並みです。『一遍上人聖絵「福岡の市」』(清浄光寺所蔵全12巻/国宝)に描かれた「備前福岡の市」に

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