首里城・広福門

首里城・広福門

首里城第4の門が広福門(こうふくもん)。漏刻門(ろうこくもん)の東側に建ち、別名「長御門(ながうじょう)」と呼ばれた門。広福(こうふく)とは、「福を行き渡らせる」という意味。門前は展望スポットでもあり、龍潭の池、沖縄県立博物館、弁財天堂などを眺望。広福門をくぐった先が下之御庭(しちゃぬうなー)。

首里城の入場券を販売する門

首里城空撮 Photo Map
首里城空撮 Photo Map

かつては広福門の右に神社仏閣を管理し宗廟祭典(祖先を祭る行事)を司る役所・寺社座が、門の左に士族の戸籍や財産をめぐる争い事などを調停した大与座(おおくみざ)がありました。

明治の末、第一尋常小学校の建設のために取り壊されましたが、平成4年に首里城公園の入園券(首里城入城券)を販売する場所として復元されました。
案内所もこの門にあります。

首里城正殿のある御庭(うなー)に対する「下之御庭」(系図座・用物座)で、琉球舞踊(水・金・土・日・祝日)、新春の宴(正月3が日)、中秋の宴(9月中旬)、首里城祭の伝統芸能の宴(10月下旬)などのイベントもここで行なわれています。

なお、首里城は、日本100名城、そして世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に選定されています。

首里城・広福門
首里城・広福門
名称首里城・広福門/しゅりじょう・こうふくもん
所在地沖縄県那覇市首里金城町1-2
関連HP首里城公園公式ホームページ
電車・バスでゆいレール首里駅から徒歩12分
ドライブで沖縄自動車道那覇ICから約2.2km
駐車場首里杜館地下駐車場/有料
問い合わせ首里城公園管理センター TEL:098-886-2020
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
首里城

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