伊是名城・伊是名玉御殿

伊是名城・伊是名玉御殿

沖縄県島尻郡伊是名村、伊是名島(いぜなじま)の東南、城崎の標高98mの岩山に築かれた城(グスク)が伊是名城(いぜなぐすく)。尚巴志王の祖父・鮫川大主(さめかわうふぬし)が築城したとの伝承がある城で、北麓には尚円王の父・尚稷と母・瑞雲の墓として建立された伊是名玉御殿(いぜなたまうどぅん)があり、国の重要文化財に指定。

伊是名島の岩山の岬に築かれた城の跡と墓所

伊是名城・伊是名玉御殿

伊是名城は、三方を海に囲まれた標高98mの岬の突端、天然の要塞で、難攻不落の城といわれていました。
石垣と高さ約2.5mの石門、7、5、3に配された石段が現存。
城の東側から山上への道が通じていますが険阻な岩山で、踏み跡的な部分もあるので、観光的には途中まで(景色のいい場所があります)で引き返すのが賢明。

玉御殿(たまうどぅん)には東室と西室の2つの部屋があり、第二尚氏王朝の開祖・尚円王(しょうえんおう=在位1469年〜1476年)の父・尚稷(しょうしょく)・妻が東室で親戚が西室に納骨されています。
尚円王(金丸)は、首里の琉球王府に勤め、頭角を現しますが、尚徳王の無謀ともいえる政策で内間村に隠遁。
1469年の尚徳王が薨去後に重臣の会議で、隠遁先から首里に迎えられ即位し(実際にはクーデターが起きたと推測できます)、尚円と名乗りました。
つまりは、伊是名島が生んだ王ということに(墓所は玉陵)。

伊是名島(仲田港)へは沖縄本島の運天港(今帰仁村)からフェリーを利用。
島内にもレンタカーが用意されています。

伊是名城・伊是名玉御殿
伊是名島
伊是名島空撮 PhotoMap
伊是名城・伊是名玉御殿
名称 伊是名城・伊是名玉御殿/いぜなぐすく・いぜなたまうどぅん
所在地 沖縄県島尻郡伊是名村伊是名1
関連HP いぜな島観光協会公式ホームページ
電車・バスで 仲田港から徒歩20分
問い合わせ いぜな島観光協会 TEL:0980-45-2435(平日9:00〜17:00)/FAX:0980-45-2360
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
伊是名島・仲田港

伊是名島・仲田港

沖縄県島尻郡伊是名村(いぜなそん)、沖縄本島の北に位置する伊是名島(いぜなじま)の玄関港が、仲田港。島の東岸に位置する仲田港へは、運天港(国頭郡今帰仁村)から伊是名村営フェリーの「フェリーいぜな尚円」が1日2便、55分で結んでいます。運天港

銘苅家住宅

銘苅家住宅

沖縄県島尻郡伊是名村(いぜなそん)、尚氏発祥の地と伝えられる伊是名島にある夫地頭(ぶじとう=島民と地頭代の間に立つ補助機関)「銘苅大屋子」(めかるうふやこ)を世襲で務めた旧宅が、銘苅家住宅(めかるけじゅうたく)。明治39年再建の建物が現存し

サムレー道

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シラサギ展望台

シラサギ展望台

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二見ヶ浦(マッティラ浜)

二見ヶ浦(マッティラ浜)

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