沖縄県南城市の標高約150mの琉球石灰岩丘陵の東端に位置する沖縄グスク時代(三山時代)の城跡で、国の史跡になっているのが、島添大里城(しましーおおざとぐすく)。南北210m、東西270m、北側が断崖になっている天然の要害。城跡の東側は大里城趾公園として整備され、展望台が建っています。
三山時代の島添大里按司の居城
島添大里城は、北と西側の断崖を背にして、標高150m内外の琉球石灰岩の丘陵台地を利用し、一の郭、南東方向へ二の郭、三の郭と放射状に広がる城。
三山時代(首里・浦添を中心とする中山、糸満を中心とする南山、今帰仁を中心とする北山の3政権が、覇権を競った時代)の島添大里按司(しましーおおざとあじ)の居城で、本島島尻(しまじり)地域の東半分を支配する拠点でしたが、15世紀の初めに尚巴志(しょうはし)によって攻略され落城。
その後は首里城築城まで尚巴志による三山統一の拠点となり、首里城完成後は離宮として機能しています。
往時には二重の城壁を有していたが、内郭を囲む城壁のうち175mと外郭部分の西側と北東側が現存。
一の郭には島添按司の住居である正殿跡(22m×13m)が残され、正殿跡からの眺望は素晴らしく、勝連グスク、中城グスク、首里グスクなどの動向を把握できる戦略的に有利な位置にあったことがよくわかります。
城内からは中国産陶磁器や金属製品も出土、中国との密接な交流も裏付けています。
近くにあるギリムイグスクは島添大里城築城以前、政治的支配者の居住地であったと推測される地で、グスク内には墓や拝所( うがんじょ=神を拝む場所)などが残されています。
ちなみに「島添」には、島々を支配するという意味がある言葉。
大里、佐敷、知念、玉城地域を支配下に置き、中国の明王朝とも盛んに交易していた歴史を表しています。
島添大里城(大里城趾公園) | |
名称 | 島添大里城(大里城趾公園)/しましーおおざとじょう(おおざとじょうじこうえん) |
所在地 | 沖縄県南城市大里大里386 |
関連HP | 南城市公式ホームページ |
ドライブで | 那覇空港から約17km |
駐車場 | 30台/無料 |
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