南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)

南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)

沖縄県島尻郡南大東村(みなみだいとうそん)、南大東島の中心、南大東村役場の西にあるのが、ふるさと文化センター。南大東島の歴史、文化を詳しく解説する施設ですが、建物横には実物のシュガートレイン(経済産業省の近代化産業遺産)も展示。

南大東島で活躍したシュガートレインを屋外展示

南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)

明治18年、沖縄県の探検により無人島だった南大東島(琉球王国時代には島の存在は知られ、ウフアガリ島と呼ばれていました)に日本国標が建てられ、沖縄県に所属した南大東島。
数年後から開拓が試みられますが、上陸を阻む地形などから断念しています。

本格的な開拓が始まったのは明治33年で、八丈島の実業家・玉置半右衛門(たまおきはんえもん=八丈島と東京を結ぶ回漕業で財を成した豪商で、鳥島でのアホウドリ撲殺事業を展開)が組織した八丈島民23人の開拓団が上陸、明治35年から甘蔗を使っての製糖が始まっています。
大東島紙幣(玉置紙幣)と呼ばれる紙幣に似た商品引換券を流通させるなど、島独自の文化を発展させています(南大東島は国から玉置商会に貸与され、玉置商会の所有物に)。
開拓住民は30年間働いたら、土地を分け与えるという約束で入植しましたが、玉置半右衛門の死により反故(ほご)になり、玉置商会も経営が傾きます。

大正5年、玉置商会は東洋精糖と合併、南大東島・北大東島に東洋精糖によって大型の分蜜糖工場が建設され、運搬用の蒸気機関車も導入されました(それまでは人力でトロッコを押す人車軌道でした)。
昭和2年、東洋精糖も経営難に陥って大日本製糖と合併しますが、戦前はこの大日本製糖が島を所有し、学校、病院、通信、警察などの事業はすべて大日本製糖が運営し、日本円が事実上通用しないという特殊な世界でした(島外に出るのも会社が発行する出向許可証が必要)。

ふるさと文化センターに屋外展示される蒸気機関車2号機(大正6年、大日本軌道製Cタンク12トン)は、大正6年に導入され、昭和25年(蒸気機関車からディーゼル機関車に置き換え)まで使われていたサトウキビ運搬用の私設鉄道のもの。
ディーゼル機関車8号機は、昭和50年に日本車輌で製造されたものです。

この2両は「南大東村の製糖関連遺産」として「近代の沖縄経済に貢献した『2つの黒いダイヤ』製糖、石炭両産業の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定されています。

最大時に総延長29kmと島に張り巡らされたシュガートレイン網によるサトウキビ運搬は、昭和58年にトラック輸送に転換。
戦後、沖縄に残された最後の鉄道輸送は、南大東島のシュガートレインだったのです。

那覇市の壺川東公園にもディーゼル機関車5号機と蒸気機関車1号機の下回りが保存されています。

昭和43年公開の映画『神々の深き欲望』(監督・今村昌平、出演・三國連太郎)は、現代文明から隔絶された南海の孤島が舞台で、このシュガートレインが登場します(南大東島、波照間島がロケ地になっています)。

南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)
ディーゼル機関車8号機
南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)
南大東島に敷設されたシュガートレインの路線図
南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)
名称 南大東島・ふるさと文化センター(シュガートレイン)/みなみだいとうじま・ふるさとぶんかせんたー(しゅがーとれいん)
所在地 沖縄県島尻郡南大東村在所317
ドライブで 南大東空港から約4.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 南大東島・ふるさと文化センター TEL:0980-22-2815
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
南大東空港

南大東空港

沖縄県島尻郡南大東村、南大東島の東岸に位置する空港が、南大東空港。那覇空港(所要1時間10分)、北大東空港(所要20分)と結び、琉球エアーコミューター(RAC)が就航。北大東〜南大東は12.5kmで、定期便としては日本最短の航空路線、空の上

壺川東公園(沖縄県軽便鉄道廃線跡)

壺川東公園(沖縄県軽便鉄道廃線跡)

沖縄県那覇市壺川1丁目、沖縄市とを結ぶ国道330号近く、住宅地にある小さな公園ですが、公園整備で発掘された沖縄県営の沖縄県軽便鉄道(ケービン)廃線跡、そして南大東島のサトウキビ運搬に使われたディーゼル機関車(シュガートレイン)が保存されてい

 

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