枚方市立枚方宿鍵屋資料館

枚方市立枚方宿鍵屋資料館

大阪府枚方市にある京街道(大坂街道)の宿場が、枚方宿(ひらかたしゅく)。淀川の川湊としても栄えた宿場ですが、船宿「鍵屋」を再生したミュージアムが、枚方市立枚方宿鍵屋資料館。「淀川と京街道で賑わう枚方宿の再生」のメインスポットとして機能する施設です。

幕末には高級料理旅館となった船宿「鍵屋」を再生

平成13年7月に開館した枚方市立枚方宿鍵屋資料館は、江戸時代の姿に復元した主屋、枚方宿や淀川舟運の歴史を紹介する展示コーナー、イベントなどに使われる大広間がある別棟があり、19世紀初頭の町家建築の構造を残した主屋は、枚方市の文化財に指定。
別棟は昭和初期に建築された建物を再生しています。

枚方宿では、枚方宿鍵屋資料館の整備とともに街道の石畳・自然色舗装化、電柱の美装化なども行なわれています。

建物のすぐ裏手が淀川河岸なので、立地を生かし、淀川を往来する三十石船の船待ちを兼ねた宿屋として創業。
江戸時代後期の鍵屋は、商人宿として記録され、幕末に格式の高い旅館(料亭)に発展したのだと推測されています。
主屋の土間には、街道から目につく場所に竈(かまど)が配されていますが、目に付く場所で煮炊きをすることで、客寄せになるという発想です。
土間に面して船を待つ客が腰掛けた縁側のような細長い板縁もあり、往時の雰囲気を今に伝えています。

別棟の1階は常設展示室で、大坂から数えて2番目の宿場として発展した「枚方宿と街道」、物資・旅客輸送に活躍した「淀川の舟運」、鍵屋のライバルだったと推測できる「くらわんか舟」(三十石船に近づき飲食物を販売した小舟)、明治初頭頃の鍵屋敷地全体の推定復元模型を展示する「昔日の鍵屋」、豊臣秀吉が淀川左岸に築かせた文禄堤を紹介する「発掘された枚方宿」、そして「鍵屋の歴史」を紹介しています。

淀川三十石船と、くらわんか舟

枚方宿
歌川広重『京都名所之内 淀川』/三十石船に接近する「くらわんか舟」

淀川三十石船は、伏見〜大坂間の舟運を担った全長56尺(17m)、幅8尺3寸(2.5m)、乗客定員28名~30名の貨客船。
30石(4.5t)の米に相当する荷を積載できたのが名の由来です。

当時、大坂には八軒家浜にの船着き場があり、大坂を早朝に出発し、夕方には伏見に着くのが通例でした(上り船=平均時速5km、所要約12時間)。
帆走、浅瀬では竿を付いての航行も行ないましたが、難所では帆柱に綱を掛けて陸上(両岸)から牽引するため(夏場は蚊に刺され、冬場でも裸で玉の汗を流して作業するという重労働でした)、昼行便しかありませんでした。
枚方船番所周辺は浅瀬だったので、竿を刺して上っていました。

逆に下り船は、伏見の船着き場を夜に出る夜行便が主体で、早朝に大坂に着くのが一般的でした(平均時速10km)。

船賃は、享保年間(1716年〜1736年)で、上り172文、下り72文と、運航に労力を要する上りのほうが高かったので、上りは徒歩、下りは船という人が多く、宿場自体は上りの旅人で賑わっていました。


三十石船に小舟で接近し、餅、酒などの飲食物を「餅くらわんか」などと売りつける商売も隆盛し、くらわんか舟と呼ばれていました。
決済は使ったお碗の数で計算したので、この碗を「くらわんか碗」と称していました。

明治初年に蒸気外輪船の導入、明治10年の鉄道の開通によって、明治中期には三十石船も姿を消しています。

枚方市立枚方宿鍵屋資料館
名称 枚方市立枚方宿鍵屋資料館/ひらかたしりつひらかたしゅくかぎやしりょうかん
所在地 大阪府枚方市堤町10-27
関連HP 枚方市立枚方宿鍵屋資料館公式ホームページ
電車・バスで 京阪枚方公園駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 枚方市立枚方宿鍵屋資料館 TEL:072-843-5128
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
枚方宿

枚方宿

大阪府枚方市にある京街道(大坂街道)の宿場が、枚方宿(ひらかたしゅく)。街道時代には京と大坂の中間に位置する交通の要衝で、淀川舟運の湊としても繁栄した宿場。淀川舟運で栄えた船宿「鍵屋」は、「枚方市立枚方宿鍵屋資料館」として再生されています。

 

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