芥川山城

芥川山城

大阪府高槻市の三好山(標高180m)にあった中世の山城の跡が、芥川山城(あくたがわやまじょう)。能勢頼則が永正12年(1515年)頃に築いたとされる城で、北・西・南の三方を芥川で囲まれた天然の要害で保存状態も良く、続日本100名城に選定されています。

西国から京への入口に位置する要害の城

天文2年(1533年)、細川晴元(ほそかわはるもと)は一向一揆軍の攻勢で淡路島に逃れていますが、芥川山城に入城して城郭を整備、その後、この芥川山城を拠点として室町幕府34代管領(かんれい)となって晴元政権を確立しています。
細川晴元が芥川山城を重視したのは、西国から京への入口に位置し、守りやすく、攻めにくい要害だったから。

細川晴元が没落すると、芥川山城は三好長慶の支配下となりますが、永禄11年(1568年)、織田信長の摂津侵攻(高槻の天神馬場=上宮天満宮に陣を構えて、芥川山城を攻略)で芥川山城に入城。
永禄12年(1569年)、本圀寺の変(ほんこくじのへん)で三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・石成友通)が将軍・足利義昭邸を襲撃した際、和田惟政(わだこれまさ)が制圧に活躍したため、信長から芥川山城を与えられますが、後に高槻城に本拠を移して廃城になっています。

主郭跡などから往時の建物跡や合戦の記録と合致する火災の痕跡も発見されています。

三好山山上の芥川山城へは、南東麓の塚脇バス停から徒歩40分。
北東麓の上の口駐車場から徒歩30分。
いずれも山道なので、足回りはしっかりと。
私有地なので、マナーを守って行動を。

大阪府内にある日本百名城は、大坂城と千早城(千早赤阪村)の2城、続日本百名城は、芥川山城のほか、飯盛山城(大東市)、岸和田城(岸和田市)の3城です。

芥川山城
名称 芥川山城/あくたがわやまじょう
所在地 大阪府高槻市原
関連HP 高槻市公式ホームページ
電車・バスで JR高槻駅から高槻市営バス塚脇・下の口行きで、塚脇下車、徒歩30分
駐車場 上の口駐車場(有料)
問い合わせ 高槻市文化財課 TEL:072-674-7652/FAX:072-674-8836
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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