峯ヶ塚古墳

峯ヶ塚古墳

大阪府羽曳野市軽里2丁目にある古墳が、峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん)。古市古墳群の1基で、墳丘長96mの前方後円墳。世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産にもなっています。峯ヶ塚古墳を含む5.3haは、峰塚公園として整備されています

二重濠が巡り、ヤマト王権トップ級の被葬者が眠る古墳

一般の立入りが制限されている陵墓の多い古市古墳群にあって、古墳を間近に見ることができる数少ない前方後円墳が、峯ヶ塚古墳。
墳丘は2段構成で、南側以外は二重の周濠が巡り、墓域としては東西168m、南北148mの広さがあります。
くびれ部の北側にのみ造出しを設けられており、令和3年度の調査で、20mの長さであることが判明しています(令和3年度の調査では、周濠内から完全なかたちで長さ90cmの円筒埴輪が出土)。

平成3年の発掘調査では、後円部墳頂付近で新たに確認された石室(盗掘を受けていました)から、武器や武具、馬具など軍事的な副葬品や、装飾品となる金銅製の冠帽(かんぼう=男子の頭髪を覆い束ねるもの)や帯金具(おびかなぐ)、魚佩(ぎょはい=腰に下げる魚形の装飾品で、出土例は奈良県藤ノ木古墳など数例)、銀製の垂飾りや花形飾り、ガラス玉、石製玉類など3500点余の副葬品が出土。
令和4年度の調査では、残存長352cmという日本最大の木製埴輪(ヤマト王権中枢の権力者が好んだコウヤマキ製)も出土しています(役割は、邪気を払う・結界表示、権威の象徴などと推測されています)。
墳丘上からは円筒埴輪、朝顔形埴輪などが見つかっていませんが、それに代わって古墳の角など要所に木製埴輪が立っていたことが判明したのです。

これまでの発掘調査で出土した副葬品や埴輪の特徴から5世紀末頃の古墳だと推測されています。

江戸時代には、日本武尊(やまとたけるのみこと)の白鳥陵(しらとりのみささぎ)に比定されていましたが、現在、宮内庁は、同じ古市古墳群にある軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)を治定しています。

峯ヶ塚古墳
名称 峯ヶ塚古墳/みねがづかこふん
所在地 大阪府羽曳野市軽里2-85
関連HP 羽曳野市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄古市駅から徒歩15分
ドライブで 南阪奈道路羽曳野ICから約3km
駐車場 峰塚公園駐車場(48台/有料)
問い合わせ 羽曳野市教育委員会事務局 TEL:072-958-1111/FAX:072-947-3633
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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