大阪府羽曳野市飛鳥にある古墳が、観音塚古墳(かんのんづかこふん)。地名そのままに、一帯は河内飛鳥と称されるエリアで、7世紀に帰化人がもたらした文化が花開いた地。観音塚古墳は直径13mという小型の円墳(もしくは方墳)ですが、見事な横口式石槨(よこぐちしきせっかく)が現存しています。
石英安山岩の切石を組み合わせた見事な横口式石槨
鉢伏山(はちぶせやま)から派生する尾根の上、標高98mに位置する観音塚古墳。
飛鳥時代に造られた終末期古墳のひとつで、周辺には観音塚古墳のほか、オーコ8号墳、鉢伏山西峰古墳など8基の横口式石槨を有した古墳が築かれています。
観音塚古墳の横口式石槨は、二上山西麓の寺山(てらやま)付近で産出する石英安山岩の切石を組み合わせたもので、石槨部、前室、羨道(せんどう)で構成。
石槨部は、身と蓋(ふた)の2石からなり、規模は、長さ1.93m、幅0.92m、高さ0.78m、内部はくり抜き、蓋の天井は屋根形をしています。
前室の壁面は東面に7石、西面に8石の切石をモザイク状に組み合わせ、隙間がほとんどないという高度な仕上がりに。
そのことから高麗尺を用いた帰化人の墓とも推測されています。
昭和56年に国の史跡に指定され、横口式石槨内部の見学も可能。
古墳群に近接する『延喜式神名帳』記載の古社・飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)は、もともと百済王族・昆支王(こんきおう)を祀った神社で(江戸時代に神仏習合の牛頭天王が祭神に)、一帯にはその子孫である飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)が居住していました。
難波と飛鳥の京(みやこ)を結んだ本最古の官道・竹内街道沿いに位置することからも、この地に眠る被葬者が当時の権力者と密接な関係にある人物だと推測できるのです。
観音塚古墳 | |
名称 | 観音塚古墳/かんのんづかこふん |
所在地 | 大阪府羽曳野市飛鳥978 |
関連HP | 羽曳野市公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄上ノ太子駅から徒歩15分 |
ドライブで | 南阪奈道路羽曳野東ICから約1.5km |
問い合わせ | 羽曳野市教育委員会事務局 TEL:072-958-1111/FAX:072-947-3633 |
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