確実に誤解を生む! まさかの天守閣(10)大阪城|大阪府

大阪城天守

大阪城公園にそびえ立つ、大阪城の天守閣。「大阪城天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目のもので、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興されました」と説明されるように、3代目の天守であることをPRしています。さてさて、3代目の天守は、いつの時代の大坂城を模したものなのでしょうか?

豊臣政権下、徳川政権下でも30余年という短命の天守

『大坂夏の陣図屏風』に描かれた大坂城、壁が黒いことに注目を!

大阪城の天守は、豊臣政権下と、徳川政権下と過去2回築かれています。
当時の呼称は大阪城ではなく、大坂城。

初代の大坂城は、羽柴秀吉が賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)で柴田勝家を下し、天下人への道を歩み始めた天正11年(1583年)の築城で、豊臣政権樹立後はその中枢として機能しました。

秀吉没後は、豊臣秀頼の居城となりましたが、慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で壊滅的となり、初代の大坂城天守は失われています。

2代目の天守は、家康没後の元和6年(1620年)、2代将軍・徳川秀忠が築城を開始したもので、豊臣色を払拭した天守として、徳川政権の威光を大坂、そして西国に示すために建設されました。
しかも城主は、時の将軍で、大坂城には幕府から派遣された城代が配置されていたため、実際に大坂城に入城した将軍は家光、家茂、慶喜のわずか3人ということに。

徳川政権下での天守は、寛文5年(1665年)の落雷で焼失、以下、再建されることはなかったので、豊臣政権下、徳川政権下とも天守があったのは30数年という短い期間だったのです。

もっとも長きにわたって大阪城に建つのが現在の天守

大阪城天守
阪神ファンならずとも虎のレリーフに注目を!

現在の天守は、昭和3年、大阪市長・關一(せきはじめ=大阪時代と称される繁栄をもたらした学者市長)が昭和天皇の即位記念事業として、大阪城の公園整備として取り組んだもの。
当時の大阪城は、陸軍の駐屯地でもあったため(本丸一帯は陸軍が所有)、その一部を市民に開放して天守を建てるという計画でした。

昭和6年、博物館「天守閣郷土歴史館」として竣工したのが現在の天守。
一応は復興天守といわれていますが(復興天守の第1号とも)、豊臣時代の復興なのか、徳川時代の復興なのかという問題が生まれます。

5層8階の天守の外観は、『大坂夏の陣図屏風』をベースとしているので、豊臣時代ということに。
しかも設計を担ったのは、歴史的建築に造詣が深い古川重春(大阪市土木局建築課の嘱託職員)です。
古川は、全国の桃山時代建築や城郭建築を調査、研究を重ねて、大阪城の復興天守を設計しているので、外観的には問題がないようにも思えます。

さてさてその外観。
初層から4層までは、なぜか徳川政権下の白漆喰壁(しろしっくいかべ)。
5層目のみ豊臣政権下の黒塗りに。
つまりは豊臣・徳川折衷型というバランス感覚で誕生した天守ということに。
その結果が、3代目天守といわれるゆえんです。

最上階高欄下の外壁に虎のレリーフが施されていますが、この虎が、大阪野球倶楽部、つまりは大阪タイガース(阪神タイガース)の由来になったとも。

大阪城天守閣は現在、国の登録有形文化財。
文化財としての価値を有していますが、豊臣政権下でもなく、徳川政権下でもない大阪らしい姿の天守であることを知ったうえでの登城を、ぜひ。

それでもこの天守が、もっとも長きにわたって大阪に君臨する天守です。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(10)大阪城|大阪府
名称 大阪城/おおさかじょう
所在地 大阪府大阪市中央区大阪城3-11
電車・バスで JR大阪城公園駅、JR・大阪メトロ森ノ宮駅からすぐ
ドライブで 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m
駐車場 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大阪城天守閣

大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や巨石は瀬戸内海の島々

大阪城公園

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大阪城天守閣

11月7日は、大阪城天守閣が再建した日

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