日牟禮八幡宮『左義長まつり』|近江八幡市|2024

日牟禮八幡宮『左義長まつり』

2024年3月16日(土)~3月17日(日)、近江八幡市の日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で『左義長まつり』が行なわれます。国の無形民俗文化財に指定された「近江八幡の火まつり」のひとつで、近江八幡での左義長は、豊臣秀次が八幡山城を築き城下町を開いたのと同時に創始したと推測されています。

織田信長ゆかりの天下の奇祭

日牟禮八幡宮『左義長まつり』

国の無形民俗文化財に指定された「近江八幡の火まつり」は、日牟禮八幡宮の例祭である『左義長まつり』と『八幡まつり』、そして『篠田の花火』など、滋賀県近江八幡市で行なわれる火を用いる行事の総称。
もともと左義長は中国の漢時代に正月行事として行なわれ、爆竹を使って厄除けしたもの。
日本では承久元年(1219年)から鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして行なわれるようになったもの。
全国にある行事でしが江戸では徳川幕府が火事の防止に禁止令を出して廃れてしまったのです。

日牟禮八幡宮の『左義長まつり』は、織田信長が安土城下で毎年正月に行なったものが近江八幡に継承されたもの。
織田信長は、天正9年(1581年)の正月には、「馬廻は爆竹を用意し、頭巾・装束を結構にしつらえ、思い思いの出立ちにて15日に出仕すべし」との触れを出し、さらには左義長当日、信長自ら「黒の南蛮笠に描き眉、赤色の礼服に唐錦の側次・虎皮のむかばきといった出立ちで入場」と信長の家臣・太田牛一の記した『信長公記』(巻十四)に記されているのです。

そんな天女をイメージした女装という信長ならではの奇抜なアイデアは、今も近江八幡では男衆が女装してまつりを行なうかたちで継承されています。
まさに信長ゆかりの天下の奇祭というわけなのです。

織田信長が本能寺の変で討たれた後には、豊臣秀次が築城した八幡山城とともに安土から多くの人々が八幡に移り住みましたが、同時に左義長を日牟禮八幡宮に奉納。
その後、近江商人の隆盛によって、商売繁盛を祈願するまつりへと発展しました。

左義長とは、新わらで編んだ3mほどの三角錐の松明(たいまつ)の上に数mの青竹を立て、赤紙や薬玉、巾着、扇などで飾ったもの。
1月中旬頃から各町内で手間暇かけた左義長作りが始まります。

日牟禮八幡宮『左義長まつり』 おもな行事日程

土曜日
13:00〜=完成した左義長は、初日土曜の13:00までに日牟禮八幡宮に大集合(13基勢揃い)。
14:00〜=左義長渡御出発(旧市内を練り歩きます)
17:30頃=日牟禮八幡宮の戻り、左義長だしコンクールの審査発表があります

日曜日
10:00〜=神社で左義長大祭
10:30〜=各町内の左義長は、「自由げい歩」で旧市街地を練り歩き、「けんか」と呼ばれる左義長同士の「組み合わせ」があちこちで繰り広げられます
18:00~=子ども左義長奉火(奉納にされない年もあります)
20:00=日牟禮八幡宮で5基の左義長に奉火され、その後、20:20〜順次残りの左義長に火が付けられ、22:40に最後の左義長に奉火されます。

日本三大左義長
日本三大左義長には諸説あり、滋賀県の近江八幡で行なわれる織田信長ゆかりの左義長、福井県勝山の左義長(2024年2月24日(土)~2月25日(日))、奈良県御所市の吉祥草寺(茅原の大とんど/毎年1月14日)、そして岐阜県海津市の今尾左義長(毎年2月11日)らが有名です。
日牟禮八幡宮『左義長まつり』|近江八幡市|2024
開催日 2024年3月16日(土)~3月17日(日)
所在地 滋賀県近江八幡市宮内町257
場所 日牟禮八幡宮
関連HP 日牟禮八幡宮公式ホームページ
電車・バスで JR近江八幡駅から近江鉄道バス野ヶ崎行きで5分、小幡町資料館前下車、徒歩7分
ドライブで 名神高速道路八日市ICから約14.8km
駐車場 市営多賀観光駐車場(57台/有料)
問い合わせ 近江八幡駅北口観光案内所 TEL:0748-33-6061
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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