良正院
京都市東山区にある知恩院の塔頭(たっちゅう)のひとつが良正院(りょうしょういん)。徳川家康の次女で、池田輝政(いけだてるまさ)の夫人となり、姫路城で死去した督姫(とくひめ)の追善のために、息子である池田忠雄(いけだただか…
京都市東山区にある知恩院の塔頭(たっちゅう)のひとつが良正院(りょうしょういん)。徳川家康の次女で、池田輝政(いけだてるまさ)の夫人となり、姫路城で死去した督姫(とくひめ)の追善のために、息子である池田忠雄(いけだただか…
京都府京都市伏見区、平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の古社(式内社)、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の境内に湧く名水が伏見の御香水(ふしみのごこうすい)。現代版伏見名水巡りの「伏見七名水」の筆頭で、環境省の名水百…
京都市伏見区にある伏見の産土神(うぶすながみ)が御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)。平安時代、境内から病気に効く香水が湧いていたので、清和天皇からその名を贈られた古社で、境内に今も湧き出す名水は、伏見七名水のひとつ「伏見…
京都府京都市左京区にある浄土宗の開祖・法然上人の弟子、安楽、住蓮ゆかりの寺、安楽寺。鎌倉時代の初め、斬首に処された安楽、住蓮の菩提を弔うため、法然上人が建立した寺で、江戸時代初めに現在地に移っています。普段は非公開で、桜…
京都府京都市北区等持院北町にある足利尊氏の墓所で、臨済宗天龍寺派の寺、等持院。暦応4年(1341年)、等持寺(とうじじ)別院として、足利尊氏が夢窓疎石(むそうそせき)を招いて創建した、臨済宗天龍寺派の寺院。死後尊氏がここ…
京都府京都市中京区、京都の繁華街、新京極通に面して建つ小さなお堂が、通称「蛸薬師」として有名な蛸薬師堂永福寺。養和元年(1181年)創建の深草浄土宗の寺で、元は二条室町にありましたが、豊臣秀吉の京の都市改造(天正の地割)…
京都府京都市左京区、哲学の道沿いにある歴代皇女が住職を務めた尼門跡寺院が霊鑑寺(れいかんじ)。江戸時代の初め、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が第12皇女・月江宗澄(げっこうそうちょう=多利宮)を開基として創建。普段は非…
京都府京都市左京区、哲学の道から少し脇に入ったところに鎮座する古社が大豊神社。注目は境内の大国社にある狛巳(こまねずみ=狛ネズミ)。本来は狛犬のところここではネズミが社を守っているのです。大国主命を危機から助けたという神…
泥土をつき固めて作った築地塀など、寺社の周囲を取り囲む土塀は、寄進されたものが多く、日本を代表する3ヶ所の土塀が日本三大土塀と呼ばれています。それが、熱田神宮(愛知県名古屋市)の信長塀、三十三間堂(京都市)の太閤塀、そし…
京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺、相国寺(しょうこくじ)。足利義満が建立を発願し、夢窓疎石(むそうそせき)を開祖として明徳3年(1392年)に創建した、京都五山の第二位に列せられる名刹。国の重要文化財に指定され…
京都市東山区にある臨済宗の東福寺派大本山、東福寺。京都五山の第四位の禅寺で、日本最古にして最大級の伽藍から「東福寺の伽藍面」(がらんづら)ともいわれるほど。参詣者を迎える壮大な三門は、応永32年(1425年)、室町幕府4…
愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮の境内にある大灯籠が佐久間灯籠。寛永7年(1630年)、佐久間勝之は海難にあい、熱田神宮に祈ったところその加護によって救われたことに感謝して寄進したものと伝えられ、同じ佐久間勝之(さくまかつ…
京都市下京区にある真宗大谷派の本山、東本願寺(真宗本廟)。慶長7年(1602年)、徳川家康の寄進による土地に阿弥陀堂、御影堂などを建立したのですが、その玄関にあたるのが御影堂門です。現在の御影堂門(ごえいどうもん)は、幕…
京都市右京区御室にある真言宗御室派の総本山、仁和寺(にんなじ)。世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなる名刹ですが、春は、中門内の西側一帯に咲く遅咲きの御室桜(おむろざくら)が咲くことで有名です。その歴史を背景…
京都市右京区御室にある真言宗御室派の総本山、仁和寺(にんなじ)。皇室とゆかりの深い門跡寺院で、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなる名刹ですが、寛永18年(1641年)〜正保2年(1645年)頃の築という二王…
京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山、南禅寺。京都三大門(南禅寺、知恩院、東本願寺または仁和寺)に数えられる有名な三門の前に配されるのが佐久間灯籠です。寛永5年(1628年)の三門落慶の際に、佐久間勝之が寄進した…
江戸時代から関東を中心に、各地に農業用水が開削されるようになりましたが、日本三大農業用水に数えられるのは、埼玉県と東京都を流れる見沼代用水、同様に埼玉県・東京都の葛西用水路、そして愛知県の明治用水です。3つの用水とも今も…
京都府京都市東山区にある三十三間堂で知られる蓮華王院。豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀は、太閤塀と通称され(実は秀頼の寄進ですが)、国の重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建される際、蓮華王院を隔てるた…