蓮如上人御廟所
文明15年8月22日(1483年9月23日)、本願寺8世の蓮如が創建したのが山科本願寺。周囲には堀と土塁を築いて、寺内町を形成していましたが、六角氏と法華宗徒により焼き討ちされ、焼失。その山科本願寺跡の近く、山階小学校の…
文明15年8月22日(1483年9月23日)、本願寺8世の蓮如が創建したのが山科本願寺。周囲には堀と土塁を築いて、寺内町を形成していましたが、六角氏と法華宗徒により焼き討ちされ、焼失。その山科本願寺跡の近く、山階小学校の…
長野県下諏訪町の諏訪湖畔に建つ下諏訪町立諏訪湖博物館・島木赤彦記念館の前には、「下駄スケート発祥の地」の石碑と下駄スケートを履いて滑る子どもたちの像が立っています。下諏訪町の諏訪大社下社秋宮横にある天然スケートリンク「秋…
東京都墨田区、JR総武本線両国駅前にある江戸と東京の歴史、文化を総合的に紹介するミュージアムが江戸東京博物館。高床式を意識してデザインされたユニークな形をもつ建物が特徴(建物の設計は菊竹清訓)。地下1階、地上7階、敷地面…
千葉駅と千葉市若葉区の千城台駅(ちしろだいえき)を結ぶ千葉都市モノレール2号線。その終点駅が千城台駅。昭和63年3月28日、千葉都市モノレールとしては最初となるスポーツセンター〜千城台間の区間開業によって生まれた駅です。…
千葉都市モノレール2号線にある駅で、昭和63年3月28日開業。1日の乗降人員は平均1300人前後で、栄町駅についで少ない18駅中17位。千葉市動物公園まで徒歩1分という距離なので、動物園へのアクセスには非常に便利です。コ…
諏訪湖畔に建つ、銀色に輝く外観が印象的な下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館。2階にある常設展示は、諏訪湖に関する資料を展示した諏訪湖展示室と、下諏訪町出身(上諏訪の生まれ、下諏訪町の久保田政信の養嗣子)のアララギ派の歌人…
京福電気鉄道嵐山本線の終着駅、嵐山駅。嵐電(らんでん)の嵐山駅構内にある京友禅の着物の森が、「キモノフォレスト」。京友禅の生地をアクリルで包み、高さ2mのポール状にしたもの600本が林立。夜になると実にフォトジェニックで…
明治43年3月25日、京都駅(現・四条大宮駅)〜嵐山駅を結ぶ嵐山電車軌道、通称「嵐電」(らんでん)の始発駅として開業したのが嵐山駅。昭和17年に京福電鉄に譲渡され、現在では京福電気鉄道嵐山本線の始発駅になっています。駅舎…
元和5年(1619年)の肥後八代地震(M6.0)で球磨川の河口にあった麦島城が崩壊したため、元和8年(1622年)に熊本藩主・加藤忠広(加藤清正の子)が松江村に築いた城が八代城(やつしろじょう=松江城)。現存するのは、水…
大阪市西区靱本町にある9.7haの総合公園が靱公園(うつぼこうえん)。靱塩干魚市場の跡地で、戦後は占領軍の飛行場として靱飛行場の用地となり、昭和27年の講和条約で大阪市へ返還。昭和30年10月21日に公園としてオープン。…
釈迦の入滅(にゅうめつ)後、時が経つにつれ仏教の正しい教えが衰滅することを説いた予言が末法思想(まっぽうしそう)。釈迦の死後、1500年後、または2000年の間が正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)の世で、それを過ぎると…
昭和7年7月9日に完成した大阪市街の南玄関である南海電気鉄道難波駅に併設されたターミナルビル。完成直後の7月15日には高島屋大阪店が開業しています。大正8年に髙島屋呉服店として大阪・長堀橋に店を構えた高島屋のデパート進出…
豊臣秀吉の「醍醐の花見」で知られる醍醐寺(だいごじ)の塔頭(たっちゅう)で、永久3年(1115年)、醍醐寺第14世座主勝覚(しょうがく)僧正が創建したのが現在の三宝院(当時は金剛輪院)。応仁の乱の戦火で焼失しますが、慶長…
嘉祥3年(850年)、慈覚大師(円仁)が開山した平泉の名刹が中尊寺。天台宗東北大本山で、山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。長治2年(1105年)、奥州藤原氏初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が21年の歳月を費や…
岩手県平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂が金色堂。棟木墨書銘から天治元年(1124年)8月20日、金色堂が上棟したことが判明しています。奥州藤原氏初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)69歳の時のこと。平等院鳳凰堂…
葛西臨海公園の芝生エリアにある泉陽興業が運営する日本国内で2番目に大きな観覧車が「ダイヤと花の大観覧車」。最高所の地上117mからは、東京ディズニーリゾートやレインボーブリッジ、東京ゲートブリッジ、都庁、東京タワー、東京…
東京都江戸川区の葛西臨海公園にある水族館が葛西臨海水族園。上野動物園の開園100周年の記念事業として、上野の水族館に代わって、平成元年10月10日に葛西にオープン。600種を超える海中生物が観察可能で、規模、内容とも都内…
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録の熊野三山を巡るときに、忘れてはならないのが明治維新までの神仏習合時代。明治の神仏分離、廃仏毀釈で「熊野詣」は、熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の「神社巡り」となっていま…