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金子さんのルーツを探せ!

金子さんのルーツ

大姓44位の金子さんは、全国に30万人ほど暮らしていて、シェアは0.24%ほど。金子さんは三浦半島がルーツの三浦さん同様にそのルーツが意外にはっきりした氏族で、武蔵国入間郡金子(現・入間市金子)、現在、JR八高線に金子駅がありますが、その一帯がルーツの可能性が高いのです。

金子さんの大切ルーツは、武蔵の村山党

JR八高線金子駅

もしあなたの家の家紋が、蜻蛉紋(とんぼもん)の三つ蜻蛉(みつとんぼ)であれば、あなたのルーツは村山党の金子氏かもしれません。

金子氏は武蔵七党のひとつ桓武平氏村山党の一族。
武蔵国多摩郡村山を領した平頼任(たいらのよりとう)が村山党の祖となり、その孫の村山家範(むらやまいえのり)が入間郡金子に住み、金子を名乗ったのが始まりなのです。

──こうして、村山家範の子・金子家忠(かねこいえただ)の登場となります。

保元元年(1156年)、金子家忠は源義朝(みなもとのよしとも=源頼朝・義経の父)に従って19歳で保元の乱に出陣。
これが初陣(ういじん)で、弱冠19歳の金子家忠は、敵の大将・源為朝(みなもとのためとも=鎮西八郎)が守る白河の御殿を攻め、源為朝の部下で鬼神といわれた高間三郎・四郎兄弟を一騎討ちで倒し、その名を天下に響かせているのです。

さらに、治承4年(1180年)、源頼朝の挙兵の際には、畠山重忠(はたけやましげただ)とともに衣笠城(きぬがさじょう/現・神奈川県横須賀市衣笠町)を包囲して三浦義明(みうらよしあき)を討ち破っています(鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』)。
この戦で金子家忠は身体に21本の矢を受けていますが、少しも怯むことがなかったという兵(つわもの)ぶりを発揮。

その後、金子家忠は、源義経のもとで一ノ谷合戦などで数々の軍功をたて、その功績により武蔵国入間郡金子や伊予国新居、播磨国鵤(いかるが)などの地頭となっています。

埼玉県入間市木蓮寺の入間霊園(瑞泉院跡)は、かつての金子家忠館(金子氏館)で、金子家忠の墓と金子氏一族の宝篋印塔が残されています。
また、金子氏一族は、武蔵国入間郡(現在の埼玉県入間市)周辺を領していたので、地名として今に残る入間市金子は、まさしく金子さんの本貫(発祥の地)。

伊予国(愛媛県)にも金子さんのルーツが

ここで、舞台を伊予国(愛媛県)に移します。

武蔵国の金子を治めていた金子氏は戦国期を戦い抜き、関東一円に土着しますが、一族の金子広家は、鎌倉時代の建長年間(1249年〜1256年)に所領であった伊予国新居郡に地頭として移住し、その地を金子と名付けています。

金子山頂に金子城を築き、居館を山麓の現・慈眼寺(愛媛県新居浜市)に構え、以降、金子広家の子孫は伊予金子氏として栄えているのです。
つまり、ここに、もうひとつの金子さんのルーツが誕生したということに。

天正13年(1585年)、羽柴秀吉が織田信長の命でる四国攻めに乗り出すと、配下となった毛利氏一族の小早川隆景(こばやかわたかかげ)の大軍により金子城は落城。
城主・金子元宅(かねこもといえ)は討ち死に(天正の陣、金子城の戦い)となっています。

300年以上にわたる伊予国の金子氏の歴史はここで閉じられ、わずかに残った一族も大坂夏の陣において豊臣方について敗れ、九州・天草に落ち延びて、その地に根付いたと伝えられています。

その後、伊予国では金子元宅の弟・金子元春が金子氏の居館に慈眼寺を開基。
慈眼寺には金子元宅供養塔や天正の陣で亡くなった将士の墓が残されています。

金子さんはルーツの埼玉県で大姓13位

茶畑広がる金子さんのルーツ

ほかの系統の金子氏には、代々、石見国造として君臨してきた豪族の石見国物部氏族の金子氏や、清和源氏小笠原流の金子氏、橘氏族新居氏流の金子氏、さらには諏訪大社や弥彦神社にも神官の金子氏がいます。

金子さんは関東から新潟、山形にかけて多く、ルーツの埼玉県で大姓13位、新潟県は17位となっています。
しかも武蔵七党の村山党の一族らしく、現在でも埼玉県入間市から東京都清瀬市周辺にかけて金子さんは数多く暮らしています。
狭山茶の茶畑広がる一帯は、やはり村山党の本拠地を今に伝えるということに。
JR八高線には金子駅があり、全国でたったひとつの金子駅になっているので、全国の金子さんは一度はこの金子駅に降り立っていただきたいものです。

家紋は、村山党の金子氏が蜻蛉紋の三つ蜻蛉。
ほかに、鉄線、丁子、茗荷、竹に雀、井桁に沢瀉(おもだか)、抱き柏、鷹の羽、橘、雁、木瓜、下り藤などがありが、珍しい紋としては伊予金子氏の「丸に七つ亀甲」も。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

蜻蛉紋の三つ蜻蛉
金子さんのルーツを探せ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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