横山さんのルーツを探せ!

横山という苗字はみんなすべて横山と書く。
何を当たり前のことをとお思いになるかも知れないが、実は、佐藤は「左藤」と書いたり、田中は「田仲」と書いたり、鈴木は「鈴樹」と書く苗字もあるのだけれど、「よこやま」と発音する苗字は、横山以外はほとんどない珍しい苗字なのである。

横山さんのルーツは八王子!

横に山があるという地形的な位置関係から横山という地名が生まれ、そこから人の苗字が生まれたという典型的な地形由来の姓。
話は脱線するが、横山ノック(お笑いタレント、元参議院議員、元大阪府知事)は本名・山田勇。横山エンタツ(兵庫県三田市横山生まれ)に入門したので横山を名乗った。

全国の横山さんの中でも、武蔵国多摩郡横山庄(東京都八王子市元横山町)を発祥とする武蔵七党横山党の嫡流横山氏は、武蔵国の大族として知られている。
誇り高く勇猛な一族であった横山党とは、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、平安時代の文人・小野篁(おののたかむら)の子孫・小野孝泰(たかやす)が武蔵国多摩郡横山庄を興して横山姓を称しことに始まり、武蔵国大里郡・比企郡・橘樹郡、および相模国北部に割拠した同族的武士団である。

その一族は、海老名、愛甲、荻野、大貫、室伏、大串、平山、古市、平子(ひらこ)、野内、小倉、藍原などの各氏を輩出した。
前九年の役では横山経兼(よこやまつねかね)が源頼義に従って功をあげ、源頼朝の挙兵時には横山時広・時兼が軍功をたて御家人に列せられた。
しかし、健保元年(1213年)の和田合戦では横山時兼が和田義盛に加担して破れ、以後一族は衰退した。

『万葉集』に「多摩の横山」と詠われているように、当時はどこまでも横に繋がる多摩丘陵を「横山」と呼んでいた。
そしてその地で活躍した横山党の名は八王子市元横山町として、今も残されている。

東京都八王子市元横山町の妙薬寺は横山党に由縁の寺で、その境内一帯は横山氏の居館跡だったといわれ、横山氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。永禄3年(1560年)に造立された供養塔だ。
元横山町は小野妹子、小野東風、小野篁、小野小町などを輩出した小野氏が、横山氏と名前を変えて住み着いたという場所だという。
その近くの八幡八雲神社は延長2年(924年)武蔵守小野隆泰が当地に勧請した神社だといわれ、八幡八雲神社の境内の一画には横山党の祖・横山義孝を祀った横山神社もある。

また、八王子市初沢町には横山党の椚田(くぬぎだ)氏の城だったといわれる初沢城址や御衣(みころも)公園があり、他にも、神奈川県相模原市横山台の横山公園や横山丘陵緑地も横山党の居住地であったと推測できる。
なお、町田市小野路町には小野篁を祀る小野神社もある。

東北の横山さんは登米がルーツ?

その他の横山氏は、陸奥国本吉郡横山(宮城県登米市津山町横山)を発祥とする横山氏は窪城を居城として葛西氏に従い、のち伊達家に仕えた。
登米市津山町横山は、横山神社も鎮座する東北の横山さん発祥の地。気仙沼線の陸前横山駅が玄関口で、エリア内には伊達小次郎の墓、日本三不動の一つに数えられる横山不動尊(大徳寺)もある。
横山不動尊の本尊は、高さ5mという不動明王で、国の重要文化財に指定されている(上の写真)。

横山不動尊
横山不動尊

また、羽前国東田川郡横山を発祥とする横山氏や、桓武平氏千葉氏族の横山氏、近江国の佐々木氏流高島氏族の横山氏、会津の豪族の横山氏、土佐国介良(けら)花熊城の横山党の末裔である横山氏、さらに、加賀国や備後国からも横山氏が生まれている。

加賀藩の家老を務めた横山氏も横山党の末裔で江戸時代には3万石の禄高を貰っている。松江市美保関の美保神社の神主職は中世以来、横山氏が世襲した。

横山さんの代表的な家紋は丸に万字

横山姓は山形と高知、宮崎(大姓19位)に多い。
代表家紋は、武蔵七党横山党の横山氏の丸に万字。羽前国の横山氏は三つ柏、黒餅に万字、雪笹。他に根笹、三つ菱、梅鉢、隅立四つ目、左三巴、松皮菱、桔梗など。横山大観は片喰(かたばみ)。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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