渋沢栄一記念館

渋沢栄一記念館

埼玉県深谷市にある令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一を顕彰するミュージアムが渋沢栄一記念館。近代日本を支えた明治時代の大実業家、渋沢栄一は、天保11年(1840年)、当時は養蚕の盛んだった武蔵国榛沢郡血洗島村(ちあらいじまむら/現・深谷市血洗島)の豪農の家に生誕。

『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一を学ぶ

渋沢栄一記念館

故郷・深谷市にある渋沢栄一の記念館で、明治政府に仕え、官営富岡製糸場設置主任としても活躍し、第一国立銀行創立をはじめ設立に関わった企業は東京電力会社、帝国劇場会社、日本煉瓦製造会社、日本郵船会社、東京石川島造船所、札幌麦酒会社、日本精糖会社、日本興業銀行、日本航空輸送会社など500社という輝かしい渋沢栄一の業績を紹介しています。

血洗島には、明治28年に建てられた、渋沢栄一生家「中の家」(なかんち)も保存。

深谷のレンガ製造も、明治20年に創業を開始した日本煉瓦製造(にほんれんがせいぞう=渋沢栄一が代表)に由来し、明治28年には日本鉄道の深谷駅から工場までの4.2kmにわたって専用鉄道が敷かれています。
日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)、日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯、日本煉瓦製造会社旧変電室が保存され、見学が可能。
廃線跡は遊歩道「あかね通り」に再生され、備前渠鉄橋、福川鉄橋などの鉄橋が現存しています。
東京駅のレンガは、この日本煉瓦製造のホフマン輪窯で焼成されたもの。

渋沢栄一の写真、伝記資料、 貴重な肉声テープなど、展示内容は興味深いものばかり。
講義室では渋沢栄一アンドロイドによる講義(大正時代に渋沢栄一が語った『道徳経済合一説』を現代風にアレンジ)を受けることが可能。

渋沢栄一は、王子に抄紙会社(王子製紙)を創業し、その工場を見下ろす飛鳥山(現・東京都北区)に曖依村荘(あいいそんそう)を構えていますが、飛鳥山公園内の旧渋沢庭園には、国の重要文化財に指定された「晩香廬」(ばんこうろ)と「青淵文庫」(せいえんぶんこ)が、往時のままの姿で残され、深谷とともに渋沢栄一を偲ぶスポットになっています。

渋沢栄一記念館
名称 渋沢栄一記念館/しぶさわえいいちきねんかん
所在地 埼玉県深谷市下手計1204
関連HP 渋沢栄一記念館公式ホームページ
電車・バスで JR深谷駅から市内循環バス北コース西循環で、栄一記念館入口下車
ドライブで 関越自動車道寄居スマートICから約12km、花園ICから約16km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 渋沢栄一記念館 TEL:048-587-1101
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
誠之堂

誠之堂

埼玉県深谷市にある武蔵国榛沢郡血洗島村(現・深谷市血洗島)出身で令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一が設立した第一国立銀行ゆかりの建物が誠之堂。第一銀行(旧第一勧業銀行)の清和園(東京・世田谷)に建てられたもの移築した

渋沢栄一生家「中の家」

埼玉県深谷市の血洗島(ちあらいじま)にあるのが渋沢栄一生家「中の家」(なかんち)。近代日本経済の父・渋沢栄一氏の生家で、現存する主屋は、渋沢栄一の妹婿・渋沢市郎が明治28年に上棟した天窓のある典型的な養蚕農家。奥の10畳の部屋は、渋沢栄一が

日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)

日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)

埼玉県深谷市は、日本の近代化を、レンガ生産で支えた「レンガのまち深谷」。渋沢栄一が設立し、明治21年に創業を開始した旧日本煉瓦製造株式会社の敷地内にある明治20年築の洋館が、日本煉瓦製造会社旧事務所。国の重要文化財に指定される建物は、深谷市

日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯

日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯

明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯6号窯は、国の重要文

備前渠鉄橋

備前渠鉄橋

現在の埼玉県深谷市にあった旧日本煉瓦製造会社(明治21年創業)で大量に生産されたレンガは、日本の近代化に多大な貢献を果たしていますが、大量輸送を可能にしたのが、深谷駅から敷設された専用の引込線。廃線跡は、遊歩道「あかね通り」となっていますが

福川鉄橋

福川鉄橋

渋沢栄一らが明治21年に埼玉県榛沢郡上敷免村(現・深谷市上敷免)に創業した日本煉瓦製造会社。生産されたレンガの大量輸送を可能にしたのが、明治28年に日本鉄道・深谷駅から敷設した4.2kmに及ぶ専用の引込線。途中、備前渠鉄橋、唐沢川鉄橋、福川

日本煉瓦製造会社旧変電室

日本煉瓦製造会社旧変電室

渋沢栄一が明治21年に故郷に近い、埼玉県榛沢郡上敷免村(現・埼玉県深谷市)に創業した日本煉瓦製造会社。東京に近い現・深谷市はレンガ焼成の土が容易に手に入り、輸送に便利という利点があったのです。明治39年、蒸気機関から電動機に切り替えるために

清風亭

清風亭

埼玉県深谷市にある大正15年、佐々木勇之助(ささきゆうのすけ=大正5年、渋沢栄一の後任として第一銀行第2代頭取に就任)の古希を記念して建設された洋風建築が清風亭。渋沢栄一の古希記念で建てられた誠之堂とともに、平成11年に旧地である東京都世田

 

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