見沼通船堀公園

見沼通船堀公園

さいたま市緑区、見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)に並行して広がる公園。駐車場はありませんが、JR武蔵野線の東浦和駅からも徒歩5分くらいなので、散策途中の寄り道には絶好の地。とくにここが首都圏とは思えないような素晴らしい竹林が広がっています。日本の歴史公園100選に選定。

見沼通船堀散策の出発点にもなっている緑地公園

見沼通船堀公園

平成元年3月にオープンした敷地面積6600平方メートルの公園で、サッカー場やソフトボール場などの整備された大間木公園に隣接しています。
公園に沿った部分の三沼通船堀西縁は公園の一部となっており、通船堀の南側には遊歩道も整備されています。

公園の大部分が竹林で、竹林内の立ち入りは禁じられています。

また、見沼通船堀公園のすぐ横を見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)が流れていますが、こちらは埼玉県上尾市の瓦葺伏越付近にある西縁と東縁の分水点から、さいたま市を経て川口市小谷場元西福寺前分水口(芝分水口)までを流れる用水路。
享保13年(1728年)、幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、利根川から取水し、武蔵国に普請した灌漑農業用水で、埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水に数えられています。

見沼通船堀公園
名称見沼通船堀公園/みぬまつうせんぼりこうえん
所在地埼玉県さいたま市緑区大間木八町、長割、附島他
関連HPさいたま市公園緑地協会公式ホームページ
電車・バスでJR東浦和駅から徒歩5分
ドライブで東京外環自動車道川口中央出口から約3km
駐車場なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせさいたま市浦和観光案内所 TEL:048-883-1055
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
見沼代用水東縁

見沼代用水東縁

埼玉県上尾市・さいたま市・川口市、東京都足立区を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水東縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、見沼溜井を干拓し、そ

見沼代用水西縁

見沼代用水西縁

埼玉県上尾市・さいたま市・川口市を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水西縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、見沼を干拓し、その西縁と東縁に見沼

見沼代用水

見沼代用水

利根川から取水し、享保13年(1728年)に完成した農業用水が見沼代用水。現在も利根大堰で取水し、埼玉県行田市、さいたま市、川口市など14市2町、85kmの農業用水路が流れています。埼玉県・東京都の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本

見沼通船堀東縁

見沼通船堀東縁

利根川と荒川の間の農村地帯(天領)で産する米を、江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)へと運ぶために開削された江戸時代の閘門式の運河である見沼通船堀のうち、芝川と見沼代用水東縁を結ぶ部分、つまりは運河の東端部が見沼通船堀東縁(みぬまつうせんぼりひがし

見沼通船堀公園

見沼通船堀公園

さいたま市緑区、見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)に並行して広がる公園。駐車場はありませんが、JR武蔵野線の東浦和駅からも徒歩5分くらいなので、散策途中の寄り道には絶好の地。とくにここが首都圏とは思えない

附島氷川女体神社

附島氷川女体神社

かつてのどかな田園風景とが広がり、見沼通船堀の舟運で栄えた大間木村(おおまぎむら=現・さいたま市緑区大間木)の鎮守社が附島氷川女体神社(つきしまひかわにょたいじんしゃ)。附島(つきしま)という地名は、かつて江戸湾(東京湾)が内陸まで侵入して

鈴木家住宅

鈴木家住宅

見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)の南、八丁堤(赤山街道=関東郡代の赤山陣屋と結ぶ街道)沿いにある旧家が鈴木家住宅。見沼干拓事業に参画し、享保16年(1731年)の見沼通船堀の完成と同時に高田家とともに通

よく読まれている記事

こちらもどうぞ