七曲井

七曲井

埼玉県狭山市北入曽、同じ狭山市内の堀兼之井とともに、歌枕「ほりかねの井」の地とも推測されるのが、七曲井(ななまがりのい)。すり鉢の形をした巨大な井戸で、武蔵野台地や伊豆諸島にある「まいまいず井戸」(まいまい=カタツムリで、螺旋状に付けられた井戸へと下る道からの命名)の一種。

歌枕「ほりかねの井」とも推測できる「まいまいず井戸」

昭和45年の調査で、すり鉢の上部直径が18m~26m、底部直径が5m、深さが11.5mで、凹地のはほぼ中央に松材で組んだ井桁が配されていることが判明しています。
井戸へ降りる道は北側が入口で、上縁部では階段状、中間から底近くまではクネクネと降りていくことがわかっています。
文献への初登場は、文永7年(1270年)で、宝暦9年(1759年)に最後の改修が行なわれていますが、井戸がいつ頃築かれたかは定かでありません。

井戸のある小字(こあざ)は、堀難井で、現在は「ほりがたい」と呼んでいますが、以前は「ほりかねのい」(堀難=ほりかね)と称していました。
七曲井の脇を通る道が中世の鎌倉街道、古代は入間道(いりまじ)という交通の要衝だったことから、この地が歌枕の「ほりかねの井」である可能性もあるのです。
地元・狭山市は、七曲井は遅くとも9世紀後半〜10世紀前半、武蔵国府の手により掘られたと推測しています(つまりは武蔵国の公営事業で「まいまいず井戸」を掘削)。

七曲井の横には、その名も「井戸端園」という狭山深むし茶の専門店(生産・製造・販売)があり、一帯が、水はけの良い関東ローム層(武蔵野台地)を使った狭山茶の生産地であることがわかります。

まいまいず井戸は、武蔵野台地では、七曲井のほか、同じ狭山市に「ほりかねの井」候補の堀兼の井、東京都あきる野市(渕上の石積井戸)、羽村市(五ノ神まいまいず井戸)、青梅市新町(大井戸)が現存、府中市郷土の森博物館に武蔵国府エリアにあったまいまいず井戸が移築保存されています。
伊豆諸島では新島(原町の井戸)、式根島(まいまいず井戸)、八丈島(メットウ井戸)が残されています。

武蔵野の歌枕「ほりかねの井」とは!?

平安時代前期の女流歌人で、三十六歌仙のひとり、伊勢(いせ)は、「いかでかと思ふ心は堀かねの井よりも猶ぞ深さまされる」(『伊勢集』)を詠み、以降、「ほりかねの井」は、武蔵野の歌枕にもなった名勝として知られています。

「はるばると思いこそやれ武蔵野の ほりかねの井に野草あるでふ」(紀貫之)
「武蔵野の堀兼の井もあるものを うれしや水の近づきにけり」(藤原俊成)
「汲みてしる人もありけんおのづから 堀兼の井のそこのこころを」(西行)

『枕草子』(清少納言)には、「井はほりかねの井。玉の井。走り井は逢坂なるがをかしきなり。」と記され、、清少納言は、天下の第1位の井戸に「ほりかねの井」を選んでいます。

名だたる歌人が武蔵野の歌枕を「ほりかねの井」(堀兼の井)としていますが、実は、それがどこの井戸なのかは今もって謎なのです。

狭山市の堀兼・入曽地区一帯には江戸時代、武蔵野台地を五日市砂礫層まで掘り下げた「まいまいず井戸」が14ヶ所もあったといい、文化・文政年間(1804年〜1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』にも、「ほりかねの井」と称する井戸は各地にあり、どこが和歌の「ほりかねの井」なのかは定めがたいと記されています。

堀金村(堀兼村)は、川越藩の新田開発政策で誕生し、承応年間(1652年~1654年)に入植が行なわれた、近世の村。
残念ながら中世以前の歴史は定かでないのです。

七曲井
名称 七曲井/ななまがりのい
所在地 埼玉県狭山市北入曽1366
関連HP 狭山市公式ホームページ
電車・バスで 西武鉄道入曽駅から徒歩10分
問い合わせ 狭山市生涯学習部社会教育課 TEL:04-2953-1111/FAX:04-2954-8671
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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