堀兼之井

堀兼之井

埼玉県狭山市堀兼、堀兼神社の境内にある歌枕「ほりかねの井」の地とも推測されるのが、堀兼之井。直径7.2m、深さ1.9mの凹地となった井戸の中央に、石組の井桁が組まれており、武蔵野台地に数多い土地をすり鉢状に掘り下げ、井戸に降りる道を螺旋状に付けた「まいまいず井戸」の一種と考えられます。

歌枕「ほりかねの井」はここと、川越藩主・秋元喬知が比定

『枕草子』(清少納言)には、「井はほりかねの井。玉の井。走り井は逢坂なるがをかしきなり。」と記され、、清少納言は、天下の第1位の井戸に「ほりかねの井」を選んでいます。
それに遡る平安時代前期の女流歌人・伊勢は、「いかでかと思ふ心は堀かねの井よりも猶ぞ深さまされる」を詠み、以降、歌枕にもなった名勝として知られていますが、実は、それがどこの井戸なのかは今も謎です。

堀兼之井の横には、2基の石碑があり、そのうちの1基は宝永5年(1708年)、土木行政に手腕を発揮し。好学の名君ともいわれた川越藩主・秋元喬知(あきもとたかとも=河口湖の新倉掘抜を着工)が家臣で儒学者の岩田彦助(いわたひこすけ)に命じて建立したもの。
「秋元に過ぎたるもの二つある、無の字の槍と岩田彦助」と称された岩田彦助が、宝永5年(1708年)、堀兼村の凹地が歌枕にもなった「ほりかねの井」と比定したのです。
ただし、刻まれた末尾には、これらは俗耳に従ったまでで、確信に基づくものではないとも記され、断定したわけではなく、自信のなさをも垣間見ることができます。

もうひとつの石碑は、天保13年(1842年)、堀金村(江戸時代は、堀金、堀兼を併用)名主の宮澤氏が少納言・清原宣明(きよはらのぶあき)の漢詩をんで建立したもの。

ただし同じ狭山市の北入曽の七曲井も候補で、ともに堀り難い井「堀難」(ほりかね)であることから有力な候補地になっています。
狭山市の堀兼・入曽地区一帯には江戸時代、まいまいず井戸が14ヶ所もあったといい、文化・文政年間(1804年〜1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』にも、「ほりかねの井」と称する井戸は各地にあり、どこが和歌の「ほりかねの井」なのかは定めがたいと記されています。

堀兼之井が歌枕「ほりかねの井」の地として有名になったのも、川越藩主・秋元喬知が比定して以降のことと推測できるのです。
残念ながら、現在は大部分が埋まっており、「まいまいず井戸」として機能した往時を偲ぶことはできません。

堀兼神社は、江戸時代には浅間大菩薩を祀る、富士山信仰の浅間宮でした(明治4年に神仏分離で浅間神社、さらに神社合祀令で近在の神社を合祀して堀兼神社に)。
堀兼神社の社殿では、堀兼之井は、地元では、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、台地上で水不足で苦しむ住民を救うため富士山を遥拝し、井戸を掘らせ、浅間宮を祀ったと伝えられています。
鎌倉街道の枝道(堀兼道)沿いに位置し、中世にも要衝だったと推測できます。

まいまいず井戸は、武蔵野台地では、堀兼の井のほか、同じ狭山市に「ほりかねの井」候補の七曲井、東京都あきる野市(渕上の石積井戸)、羽村市(五ノ神まいまいず井戸)、青梅市新町(大井戸)が現存、府中市郷土の森博物館に武蔵国府エリアにあったまいまいず井戸が移築保存されています。
伊豆諸島では新島(原町の井戸)、式根島(まいまいず井戸)、八丈島(メットウ井戸)が残されています。

堀兼之井
名称 堀兼之井/ほりかねのい
所在地 埼玉県狭山市堀兼2221
関連HP 狭山市公式ホームページ
問い合わせ 狭山市生涯学習部社会教育課 TEL:04-2953-1111/FAX:04-2954-8671
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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