大達原の手掘り隧道

大達原の手掘り隧道

埼玉県秩父市大滝、秩父往還の旧道に位置する手掘りのトンネルが、大達原の手掘り隧道(おおだはらのずいどう)。一帯は、秩父帯のチャート、石灰岩が帯状に分布し、現在の国道140号が走る荒川沿いを通り抜けることができなかったため、山中の石灰岩をくり抜いて道を通したもの。

強石宿〜大達原宿には秩父往還の旧道が現存!

隧道(トンネル)が開削されるまでは、道はさらに上部の尾根を通っていましたが、明治時代半ばに馬車を通すために幅3.45m、高さ4.8m、長さ40.5mのトンネルを手掘りしたもの。
監督は浜平地区の山中幸四郎で、1寸あたり何銭という駄賃を支払い、多くの人足を集めたと伝えられています。
秩父往還というだけでなく、三峯神社の参道を兼ねていたため、トンネル開削後に茶店「大島屋」が東側の隧道入口に出店し、賑わっていました。

この道が三峯神社への幹線道のため、地質探勝で秩父を巡検した宮沢賢治も、大正5年9月5日この手掘り隧道を通って三峯神社へ向かったものと推測できます(小鹿野の寿屋旅館=現・小鹿野町観光交流館を出立し、秩父往還を三峯神社に向かい、宿坊に泊)。
大正10年、荒川沿いに国道(現在の140号)が開通し、役割を終えていますが、茶店「大島屋」は現在も三峯神社参道(山頂)に移り、「わらじかつどん」を名物にして営業を続けています。

秩父往還は、熊谷宿(現・熊谷市)で中山道と分かれ、荒川沿いに秩父大宮(秩父市)から雁坂峠を越え、甲州に入り甲府に至る街道で、秩父甲州往還とも称されていました。
秩父往還は、大達原の手掘り隧道の少し北の強石(こわいし)で荒川沿いを離れ、山中を大達原から大輪へと抜けています。
強石〜大達原の間は、今も秩父往還の旧道がよく残され、石灰岩の岩盤を削り桟道と切通しで街道を通したことがよくわかります。
旧大達原宿には大達原高札場も復元され、往時を偲ぶことが可能。

強石宿は、奥秩父の最大の宿場で定期市が開かれて賑わったそうですが、いまでは静かな山間の集落に。
明治34年に開業した旅館「二木屋」を再生した「古民家ゲストハウス錦」(ドミトリースタイルと個室、予約で食事も提供)が営業しています。

「大達原の石灰岩岩壁と手堀トンネル」として秩父ジオパークのジオサイトにもなり、少し上流側には神庭鍾乳洞・神庭洞窟もあるので、時間が許せばあわせて探勝を。

大達原の手掘り隧道
名称 大達原の手掘り隧道/おおだはらのてぼりずいどう
所在地 埼玉県秩父市大滝529地先
関連HP 秩父まるごとジオパーク推進協議会公式ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道三峰口駅から西武観光バス中津川行きで大達原下車、徒歩15分
ドライブで 関越自動車道花園ICから約42km
駐車場 大達原稲荷神社駐車場を利用
問い合わせ 大滝総合支所地域振興課 TEL:0494-55-0861
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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