映画『真田十勇士』公開記念 猿飛佐助が修行の地を角間渓谷に発見!

烏帽子岳(2066m)、湯ノ丸山(2101m)麓の長さ4kmにわたる大渓谷が角間渓谷。真田の里にほど近いこの渓谷には、真田信繁(真田幸村)が狩の際に喉を潤し、あまりの美味さに茶立ての水に使ったという「一っぱい清水」、映画『真田十勇士』の公開で注目の忍者・猿飛佐助の修行の場も残されています。

鬼退治の伝説に佐助修行の地が残る!

角間渓谷は、岩屋観音火山群の溶岩や凝灰角礫岩を角間川が侵食して奇岩怪石を生み出したもの。
「鬼の門」、「鬼ケ城」、「天狗の欄干」などと鬼や天狗に由来する名前が多いのは、この地に鬼伝説が伝わるため。

大同元年(806年)、角間渓谷の洞窟を棲家に、巨魁毘邪王は鬼達を率いて村人に悪行の限りを尽くしていました。
朝廷から派遣された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、馬頭観音(現在の実相院)に祈願して、鬼の持つ妖力を封じ、見事に鬼を退治しました。鬼の棲家とされる洞窟と、鬼退治のお礼に創建されたと伝わる観音様が岩屋観音です。

そして渓谷にはもうひとつ、『真田丸』ゆかりの地が。
猿飛佐助が渓谷の大岩を猿のごとく飛び移って、早業の修行したという猿飛岩です。
その猿飛岩の近くには猿飛佐助と真田幸村(真田信繁)がはじめて出会ったという「佐助幸村渇見の地」も残され、佐助の敏捷性に惚れた幸村は、その場で佐助をスカウトしたなんて話がまことしやかに伝わっています。

角間渓谷に残される猿飛佐助修行の地

「真田十勇士」がついに映画化された!

「真田十勇士」は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人。
といってもこの10人、明治44年から大正13年にかけて196篇を刊行した、「書き講談」による文庫本シリーズ『立川文庫』で初登場の話。
その人物像は他の真田十勇士とともに山田阿鉄らの創作で、『真田三代記』と『西遊記』をミックスし武術に忍術を加えたもの。
猿飛佐助は、「真田十勇士」の第一として登場。真田幸村に猿飛佐助幸吉(さるとびさすけゆきよし)と名付けられ、配下として大活躍。大坂の陣で幸村が敗れた後には真田幸村とともに薩摩(鹿児島県)に落ちのびるという話。

猿飛佐助が架空の人物であることは確実ですが、モデルはいたのかというと、司馬遼太郎は架空であるという前提で、『淡海温故録』(おうみおんころく=滋賀県の古資料)などを元に、「三雲新左衛門賢持の子、三雲佐助賢春が猿飛佐助である」としています。
となると近江・三雲城(滋賀県湖南市)で修行した甲賀流忍者となり、いずれにしろ角間渓谷修行説には結びつきません。

2016年9月22日(木)、全国ロードショーの映画『真田十勇士』では、真田幸村(加藤雅也)、徳川家康(松平健)、猿飛佐助(中村勘九郎)という配役。
NHK大河ドラマ『真田丸』では藤井隆演じる佐助が、「忍び。昌幸に才能を見出され、出浦昌相に鍛えられる。大坂の陣でも、信繁のもとで大活躍する」(NHK報道資料)という設定。

スペクタクル超大作舞台『真田十勇士』の映画化
角間渓谷猿飛岩
名称 角間渓谷猿飛岩/かくまけいこくさるとびいわ
所在地 長野県上田市真田町長角間
電車・バスで JR上田駅から上田バス真田経由菅平高原行きで30分、横沢下車、徒歩30分
ドライブで 上信越自動車道上田菅平ICから約16km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 上田市真田地域自治センター TEL:0268-72-2200
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ