「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で小早川秀秋の足跡をたどる散策コースが、小早川秀秋コース。1万5000の軍勢を率いて松尾山に陣取った小早川秀秋ですが、黒田長政らの調略を受けており、東軍として参戦。比高180mほどの松尾山に登るので、少し健脚向きのコースです。
START|岐阜関ケ原古戦場記念館
起点となるのは関ケ原町役場横にある岐阜関ケ原古戦場記念館です。
小早川秀秋コースを歩く前には、ここでまずは関ヶ原合戦に至る歴史的な背景と、合戦に至る過程、古戦場の全貌などをマスターしておくのがいいでしょう。
東首塚
徳川家康が床几場で首実検をしましたが、その首は関ヶ原の領主だった竹中重門(たけなかしげかど/秀吉の軍師だった竹中半兵衛の子)に命じて、手厚く葬っています(実際の埋葬作業を行なったのは、地元の住民)。
東首塚には「血洗の井戸」と呼ばれる井戸も現存しています。
西首塚近くに明治15年頃、長浜までの官設鉄道(現・東海道本線)を敷設の際に、おびただしい数の白骨が出土したと伝えられています。
福島正則陣跡
秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄の福島正則ですが、福島正則は、石田三成襲撃事件をも起こした武断派で文治派の三成とは対立していました。
関ヶ原の合戦では前線に近い春日神社に陣を構え、東軍の先鋒として活躍。
宇喜多秀家軍1万7000と戦闘に突入、一時退却を余儀なくされますが、なんとか敵軍の進軍を食い止めています。
小早川秀秋陣跡
標高290m(関ヶ原との比高は180mほど)、山城の築かれていた松尾山に陣取ったのが秀吉恩顧の小早川秀秋です。
関ヶ原合戦を前にして石田三成が大垣城主・伊藤盛正に松尾山の改修を命じ、合戦でも伊藤盛正が陣を築いていましたが、1万5000の大軍を率いて小早川秀秋が陣取り、当所はここから高みの見物をしていました。
黒田長政などから調略を受けていた小早川秀秋は、悩み抜いた末に、東軍として西軍の大谷勢に攻めかかり、これを機に、山麓に陣を張った脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らも東軍に付き、一気に形成は東軍有利に傾いたのです。
脇坂安治陣跡
「賤ヶ岳の七本槍」のひとり、秀吉恩顧の脇坂安治は、小早川秀秋が陣を置いた松尾山の麓に陣を築いています。
徳川家康の会津征伐では、次男・脇坂安元は、もともと家康に参陣する途中に石田三成に遮られて大坂に戻っており、しかたなく西軍に与していた状況。
合戦でも頃合いを見て東軍にと考えていたフシもあり、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保とともに西軍として陣取っていましたが、小早川秀秋の寝返りとともに東軍として大谷隊へ攻撃し、東軍を勝利に導いています。
その後、伊予大洲藩5万3500石に加増移封され、子孫も幕末まで繁栄しているので、「賤ヶ岳の七本槍」のなかでは生き残った数少ない家ということに。
開戦地
天下分け目の関ヶ原合戦は、天満山に布陣する宇喜多秀家隊へ、徳川四天王の一人である井伊直政の部隊が鉄砲を放って開戦しています。
井伊直政隊に先を越された福島正則も、小西行長隊や宇喜多秀家隊と交戦状態となります。
両軍総勢20万人のうち、鉄砲隊は2万人ほどいて、国際的に見ても数多い鉄砲が使われた近世的な戦闘になっています。
様々な史料から、実際の開戦地は、「史蹟 関ヶ原古戦場 開戦地」の石碑から300m〜500mほど南側、宇喜多秀家の陣跡の目の前とされています。
農地改良事業などで、西田運動公園に石碑が移されたというのが真相です。
開戦の状況を小早川秀秋は松尾山の山上から眺めていましたが、午前中は動かなかったというのは、後世(江戸時代)の創作のようで、最新の研究では午前中に東軍に参戦したようです。
徳川家康最後の陣跡
関ヶ原合戦では、午前中にはすでに両軍が放った鉄砲の煙で、家康が陣取った桃配山からは戦況が掌握しづらくなっていました(当時の日本は、世界一の鉄砲保有量を誇っていました)。
そこで、徳川家康は、大胆にも石田三成陣取る笹尾山が目と鼻の先となる地へ、本陣を移します。
これが「徳川家康最後の陣」で、南宮山の毛利秀元が背後を付けば挟み撃ちに合うという背水の陣的な場所ですが、あえてこの地を選び、東軍の将兵を鼓舞したのです。
この時、動きのない小早川秀秋の陣めがけて催促の鉄砲を撃ったという話がありますが、合戦のさなかに鉄砲の音が届くとは考えづらく、合戦をドラマチックな物語にするため、江戸時代の作られた話だと推測されます。
この陣脇の床几場で敵将の首実検が行なわれ、東西の首塚に葬られました。
GOAL|岐阜関ケ原古戦場記念館
岐阜関ケ原古戦場記念館が設定する小早川秀秋コースのMAPです。
ダウンロードしてお使いください。
関ヶ原古戦場散策 小早川秀秋コース | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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