日本コバ

日本コバ

滋賀県東近江市、永源寺ダム(永源寺湖)の北側に聳える標高934.1mの山が、日本コバ。鈴鹿山脈の一座ですがその一風変わった山名に興味をもった登山者以外、登る人も少ない山です。山麓の君ヶ畑は轆轤(ろくろ)を使う木工職人・木地師発祥の地で、日本一の木場(こば)というのが山名の由来という説も。

永源寺ダム(永源寺湖)から眺める、なだらかな山容の山

日本コバ
永源寺湖から眺めた日本コバ(左奥)

山名の日本コバは、日本一の木場の意というのが定説。
切り出した木材を、一時集めておく集積地という意味の言葉で、実は鈴鹿山脈の最奥に位置する愛知川(御池川)の上流部は、古来、日本一の木地師の里でもあったのです。
木地師とは、轆轤(ろくろ)などの工具を使って、椀や盆などの木地を作った工人のことをいい、日本コバ山麓の君ヶ畑きみがはたは、木地師発祥の地でもあり、白洲正子の随筆『かくれ里』にも登場。
隠れ理的なイメージもありますが、鈴鹿山脈・八風峠を越え、伊勢と近江を結ぶ八風街道の街道沿いにも位置し、近江商人などが往来し、永禄2年(1559年)には織田信長も京上洛の帰路、八風越えで帰国しています。

平安時代、文徳天皇の第1皇子であった惟喬親王(これたかしんのう)が日本コバの山麓、御池川沿いの秘境、蛭谷・君ケ畑に隠れてこの轆轤挽きの業を土地の人々に伝授したと伝わっています。

全国に散った木地師は、すべて小椋(おぐら)姓ですが、それもこの谷の木地師が皆、小椋さんであることに由来。
木地師発祥の地たるゆえんです。

隣接する鈴鹿山脈の最高峰・御池岳(おいけだけ)や、藤原岳はカルスト台地として有名ですが、日本コバは御在所岳など、鈴鹿南部の山々と同じで花崗岩の山。

日本コバ登山道は、北麓・蛭谷(ひるたに)の惟喬親王御稜から衣笠林道を経由するもの(所要1時間15分)、東の如来堂から東川谷を遡るもの(所要2時間5分)、政所から衣笠山へと登るルート(所要2時間15分)などがありますが、コースによっては不明瞭な道もあるので入山にあたっては地元の観光協会に確認を。
政所は、「宇治は茶所、茶は政所」(茶摘み唄)と唄われ、皇室が使った手摘み茶の産地。
永源寺の越渓秀格禅師が茶の栽培を奨励したのが始まりという深山幽谷の茶産地で、木地師、お茶を通じての京との結びつきが、日本一の木場という名を生んだのかもしれません。

ちなみに、日本コバという山名には、山上の木場までに2本立てる(2回休息する)ことが名の由来とする説もあります。

なお、山頂には鈴鹿10座と表記されていますが、東近江市が制定した10座で、御池岳、藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所岳、雨乞岳、イブネ、銚子ヶ口、日本コバ、天狗堂で、鎌ヶ岳など南部の名峰は含まれていません。

日本コバ
日本コバ
名称 日本コバ/にほんこば
所在地 滋賀県東近江市永源寺高野町
ドライブで 名神高速道路八日市ICから約16km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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