滋賀県甲賀市(水口町・信楽町)と湖南市の境に聳える標高664.0mの霊山、飯道山(はんどうさん)。甲賀忍者の修練場にもなったという修験の地で、神仏習合時代の名残をとどめ「近江の大峰山」とも呼ばれています。山上には飯道神社が鎮座し、飯道神社近くには、奈良時代建立の飯道寺跡があります。
近江の大峰山と呼ばれる行場もある霊山
飯道神社本殿を起点とする修験者の行場コース一帯には、蟻の塔渡し(ありのとわたし)、鏡の大岩、玉体石、のぞき岩、天狗の岩、不動押し分け岩、平等岩、胎内くぐりななどの奇石怪石が林立(昭和26年に再興された飯道山行者講の修行場)。
途中には鎖場もあってスリルも満点。
神仏習合の飯道権現を祀った山上の飯道寺(天台宗寺院)は、5院36坊を数えて繁栄しましたが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈の荒波で廃寺に(明治25年、北麓の天台宗本覚院が寺号と法燈を継承)。
山上の僧房跡には慶長13年(1608年)にこの地で没した高野山中興の木食応其(もくじきおうご)の墓があります。
木食応其は、六角義賢(ろっかくよしかた)の配下の武将で近江観音寺城に籠って織田信長に抗戦しましたが、後に高野山に入って出家。
千利休とともに豊臣秀吉の使者として島津氏との和睦交渉などしているほか、豊臣政権の後ろ盾で、高野山を再興しています。
関ヶ原の戦いで、大津城の開城交渉などを担っていますが、西軍に通じた疑いから飯道寺に隠棲、死去しています。
『信長公記』(しんちょうこうき)によれば、織田信長は、天正9年10月9日(1581年11月5日)に伊賀見物に出掛け、飯道山に泊まるとの記載があり、信長が来山の記録があるので、戦国時代の繁栄ぶりをうかがい知ることができます。
織田信長は飯道山で国見をしたとも伝えられますが、高野山包囲・総攻撃に関連する前線基地と推測できます(10月5日から高野山への総攻撃を開始)し、目的の一つにには、信長の焼き討ちで荒廃した飯道寺の本山・比叡山(復興には飯道寺が重要な役割を担っています)の復興があったのかもしれません。
また、甲賀市はもともと近江商人の行商へとつながる配置薬文化のルーツ的な地ですが、飯道山の山伏は、配札に際して、万金丹・もぐさ・神教御腹薬などの薬を配っていることが、配置薬へと繋がったと推測できます。
飯道山登山の際には甲賀市信楽町側の宮町登山口(白鬚神社)駐車場に車を置けば、山上の飯道神社まで徒歩25分。
さらに山頂までは行場巡り経由で尾根沿いに1時間ほど必要(飯道神社から山頂まで行場を周回しない場合は徒歩30分)。
飯道神社周辺には多くの石垣が残されていますが、これが往時の坊跡。
飯道神社と行場めぐりだけでも十分に楽しめますが、危険な場所も多いので足回りはしっかりと(とくに単同行の場合は注意が必要です)。
飯道山登山・行場巡りコースタイム
宮町登山口(白鬚神社)駐車場〜徒歩25分〜飯道神社鳥居〜徒歩10分〜修験道・忍びの道分岐〜(行場巡り)徒歩5分〜平等岩〜徒歩20分〜蟻の塔渡〜徒歩10分〜展望岩〜徒歩8分〜飯道神社本殿〜徒歩30分〜飯道山山頂〜徒歩30分〜飯道神社本殿〜徒歩15分〜宮町登山口(白鬚神社)駐車場
飯道山 | |
名称 | 飯道山/はんどうさん |
所在地 | 滋賀県甲賀市水口町三大寺・信楽町宮町 |
関連HP | 甲賀市公式ホームーページ |
電車・バスで | 信楽鉄道紫香楽宮跡駅からタクシーで15分、山頂まで徒歩30分 |
ドライブで | 新名神高速道路信楽ICから約7km |
駐車場 | 宮町登山口(白鬚神社)駐車場を利用 |
問い合わせ | 甲賀市観光協会 TEL:0748-60-2690 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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