平安時代を代表する歌人で、三十六歌仙のひとり紀貫之(きのつらゆき)。905(延喜5)年、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集となる『古今和歌集』を紀友則らとともに撰上。土佐守の任を終えた際の道中紀行『土佐日記』でも知られますが、945(天慶8)年に没して、比叡山山中の裳立山(もたてやま)山頂に墓所があります。
紀貫之は晩年、裳立山に幽栖!?
紀貫之の髪と爪が埋葬されたと伝承される地で、一帯には裳立山古墳群があり、古くから拓けた地であることがわかります。
ただし、「木工頭紀貫之朝臣之墳」と刻まれた紀貫之の墓碑は明治元年の建立。
比叡山からの琵琶湖の風景を愛でたということで、この地が墓所と認定されたようですが、高知県南国市からの墓参団も訪れています。
裳立山といっても独立峰ではなく、大比叡(848.1m)から西に派生する尾根上の標高580mほどのピークにすぎません。
大津市の福王子神社(祭神は紀貫之)の由来には、「天慶九年比叡山の裳立山にて没す。地形的に近いところから村人たちは歌神として尊崇し同地にまつった」(滋賀県神社庁)とあり、神社の由緒書には「晩年比叡山中腹裳立山に幽栖」とあり、最晩年は裳立山に庵を結んだのかもしれません。
比叡山坂本ケーブルのもたて山駅は、昭和24年、裳立山にあったキャンプ場への玄関駅として開設(当時の駅名は裳立山遊園地)。
なお、ケーブルを中間駅のもたて山駅で下車する場合には、乗車の際に必ず駅員に告げて、再度乗車の方法を確認しておくことが大切。
現在は、「秘境駅」的な感じになっているのです。
紀貫之墓 | |
名称 | 紀貫之墓/きのつらゆきのはか |
所在地 | 滋賀県大津市坂本本町 |
関連HP | 比叡山坂本ケーブル公式ホームページ |
電車・バスで | JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩20分、または京阪石山坂本線坂本駅から徒歩10分。比叡山坂本ケーブルもたて山駅下車、徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約10km。比叡山坂本ケーブルもたて山駅下車、徒歩10分 |
駐車場 | 比叡山坂本ケーブル駐車場(8台/無料) |
問い合わせ | 比叡山鉄道 TEL:077-578-0531/FAX:077-578-0533 |
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