羽柴秀吉は天正11年(1583年)1月、織田信忠の嫡男(織田信長の孫)・三法師(織田秀信)に年賀を表すべく安土城に登城し、翌2月、二の丸に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して織田信長の本廟を築いています。安土城二の丸は信長公の本廟となっているため、発掘調査も行なわれていません。
天正10年6月2日に没した信長の廟所を秀吉が安土城に建立
天正10年6月27日(1582年7月16日)、清洲城で開かれた清洲会議で信長の二男・織田信雄と信長の三男・織田信孝が対立したため、羽柴秀吉は、信長の後継にわずか3歳という三法師(織田秀信)を推薦し、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興を説き伏せています。
さらに本能寺の変後、荒廃した安土城を改修し、三法師(織田秀信)の居城としたのです(天正10年12月に安土城入城)。
秀吉は三法師(織田秀信)の後見人となり、さらには墓を築いて、自らが信長の後継者であることを世に示したともいえるでしょう。
現在、信長公本廟は立入禁止になっていますが、門の外からその姿をうかがうことができます。
安土城 信長公本廟 | |
名称 | 安土城 信長公本廟/あづちじょう のぶながこうほんびょう |
所在地 | 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 |
関連HP | 近江八幡観光物産協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR琵琶湖線安土駅から徒歩25分 |
ドライブで | 名神高速道路蒲生スマートICから約11km。竜王IC、八日市ICから約14km |
駐車場 | 特別史跡安土城跡前駐車場(150台/有料) |
問い合わせ | 安土駅前観光案内所 TEL:0748-46-4234/FAX:0748-46-4234 |
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