佐和山城

佐和山城

滋賀県彦根市古沢町にある中世の山城が佐和山城。織豊政権下で、畿内と北陸や東国を結ぶ要衝に位置するため織田信長の宿老・丹羽長秀、豊臣秀吉の五奉行のひとり石田三成が居城とし、藩政時代には近世的城郭として彦根城を築くまで井伊直政・井伊直継の居城となりました。

「三成に過ぎたるもの」といわれた佐和山城

佐和山城
山麓から見上げる佐和山

彦根駅の北、佐和山(232.6m)に、鎌倉時代、近江守護職・佐々木荘の地頭、佐々木定綱(ささきさだつな=佐々木氏の棟梁)の六男・佐保時綱が築いた城館が始まり。
その後、観音寺城(現近江八幡市・東近江市)を拠点に犬上郡を支配した近江守護職・六角氏の居城に、戦国時代には浅井氏の居城・小谷城の支城となっています。

天下布武を掲げた織田信長は、永禄11年(1568年)、近江国に侵入。
元亀元年(1570年)、姉川の戦いの後、浅井四翼と謳われた磯野員昌(いそのかずまさ)が守備する佐和山城は、織田信長配下の丹羽長秀軍の8ヶ月にわたる包囲を受け、降伏。
丹羽長秀が佐和山城に入っています。

織田信長配下の諸将は、安土城・中川重政、長光寺城(現・近江八幡市)・柴田勝家、永原城(現・野洲市)・佐久間信盛、宇佐山城(現・大津市)・明智光秀と琵琶湖を囲む近江に配され、天下統一への道を歩みました。

佐和山城は、不破関(ふわのせき=東山道の関所)があった関ヶ原にも近く、さらに琵琶湖の海上交通も掌握できる場所で、豊臣秀吉の小田原攻めが行なわれた天正18年(1590年)には石田三成の居城となって、鳥居本(とりいもと)を大手に、5層(あるいは3層)の天守を築いています。
当時の落首に「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」といわれる豪壮な城でした(石田三成は、伏見城に常勤したため、父・石田正継が城代に)。

井伊直政・直継親子の彦根城築城で廃城に

慶長5年9月15日(1600年10月21日)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れると、石田三成の居城で父・石田正継が守備する佐和山城にも小早川秀秋軍を先鋒に東軍が押し寄せ、落城(石田正継は自刃)。

関ヶ原合戦後、徳川四天王のひとり・井伊直政が城主となりますが、近世的な城郭として彦根城築城に着手。
井伊直継の代の慶長11年(1606年)、彦根城が完成し、佐和山城は廃城になっています。
彦根城築城に際して、佐和山城、大津城、小谷城、観音寺城などの廃材を利用したため、一部の石垣を除き遺構はほどんど残されていません。
また、城下にある井伊家の菩提寺、清凉寺(せいりょうじ)、龍潭寺(りょうたんじ)の建材にも利用されたと伝えられます。
本丸、天守台なども徹底的に破却されていますが、本丸跡に立てば、彦根城、彦根市街を眼下に、比良山並みを眺望できます。

佐和山城への登城は、龍潭寺から徒歩30分で本丸。
龍潭寺の山門をくぐり、観音堂の横から登城道に入るため、門が閉まる時間帯には通行できません(龍潭寺の門を通過可能な時間は9:00~17:00/冬期は16:00まで)。
野猿が生息するので十分に注意を。

取材・画像協力/(公社)びわこビジターズビューロー、滋賀県、彦根市

佐和山城
石垣の一部が残存
佐和山城
名称 佐和山城/さわやまじょう
所在地 滋賀県彦根市古沢町
関連HP 彦根観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR彦根駅から徒歩20分
ドライブで 名神高速道路彦根ICから約4km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 彦根市観光交流課 TEL:0749-30-6120/FAX:0749-22-1398
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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