下水流臼太鼓踊|西都市|2019

下水流臼太鼓踊

宮崎県西都市南方の南方神社・一ツ瀬川原・下水流公民館で『下水流臼太鼓踊』(しもずるうすだいこおどり)が奉納されます。毎年旧暦の8月1日2019年は8月30日(金)に五穀豊穣と水難・火難除けの祈願を込めて奉納されるもの。宮崎県に伝わる臼太鼓踊では、その代表的なもので、国の無形民俗文化財に指定されています。

円陣、縦陣と陣形を変えて踊る

下水流臼太鼓踊

文禄・慶長の役(豊臣秀吉の命による朝鮮出兵/1592年~1598年)の際、加藤清正が臼太鼓を胸に抱え、踊りながら敵陣に近づき、臼太鼓の中に隠した小刀を取り出すという奇策を用いて戦に勝利したのだとか。
鉦方の着用する陣笠や陣羽織の背中に加藤清正が甲冑に用いたという家紋「蛇の目」が入っているのはそのため。

鉦方(かねがた)4人、踊り手(太鼓方)16人、歌い手4人の24人で編成され、踊り手は15㎏の幟(のぼり)を背負い、胸に臼太鼓を抱く形で踊ります。
使う鉦に享和2年(1802年)の銘があることから、江戸時代中期にはすでに踊られていたことがわかります。

ちなみに臼太鼓踊りですが、加藤清正の治めた肥後国(熊本県側)では、おもに合戦用の兜を被って踊るのに対し、宮崎県側は花飾りなどを幟に付けた「背負いもの」を付けて踊るなどの違いがあります。
武道鍛錬、士気鼓舞を目的に創始された説、「十五夜踊り」が風流に発展した説もあり、臼太鼓踊りのルーツは定かでありません。

ちなみに宮崎市の『船引臼太鼓踊』では、敵を欺いたのは加藤清正ではなく神功皇后、日向市では島津氏配下の籾木氏となっており、必ずしも加藤清正ではありません。
『下水流臼太鼓踊』では旧暦8月1日、つまりは「農家の三大厄日」である八朔(はっさく)に行なわれるので、農業の災難除けであることは明らかです。

下水流臼太鼓踊|西都市|2019
開催日時 2019年8月30日(金)
所在地 宮崎県西都市南方
場所 南方神社・下水流河原・下水流公民館
関連HP 西都市観光協会公式ホームページ
駐車場 なし
問い合わせ 西都市観光協会 TEL:0983-41-1557/FAX:0983-41-1559
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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