億岐家(おきけ)は、大国主命の後裔といわれ、代々隠岐国造(おきのくにのみやつこ)、隠岐国国司、玉若酢命神社宮司を務めた社家の家系。玉若酢命神社の社家である億岐家住宅・宝物殿には国の重要文化財に指定された隠岐国驛鈴(駅鈴=えきれい)、唐櫃(からびつ)、億伎倉印(おきそういん)の3つが展示されています。
驛鈴、倉印と律令時代の貴重な遺物を見学
驛鈴(駅鈴)は、律令時代、駅使が乗用を許された駅馬の匹数を刻んだ鈴。
646年(大化2年)1月1日、孝徳天皇によって発せられた改新の詔による、駅馬・伝馬の制度の設置に伴って造られたと推測され、現存するのは玉若酢神社(億岐家住宅・宝物殿)のものが唯一。
官吏が公用で中央に行く際に帯同し、身分証明の道具にもなりました。
また、公務出張の際、この驛鈴(駅鈴)を鳴らし、駅子(人足)と駅馬または駅舟を徴発したのだとか。
律令制度家では5里(約20km)ごとに駅を置くという制度が築かれました。
唐櫃は、1786(天明6)年に光格天皇が驛鈴(駅鈴)を実見した際に、連綿と続く律令制度と天皇制の証に感服し、驛鈴(駅鈴)の容器として光格天皇が下賜したもの。
光格天皇は御所焼失後の1790(寛政2)年の新御所への遷行行列にも隠岐国驛鈴を加え、朝廷の存在と権威を世に知らしめました。
光格天皇と隠岐国驛鈴の出会いが、光格天皇の王政復古調の政策へと通じ、倒幕、明治維新に結びついたともいわれています。
億伎倉印(おきそういん)は、奈良時代に租・庸・調(そ・よう・ちょう)の税制の元、徴収した税収品のうち、正税を貯蔵するものを正倉といいましたが、正倉に貯蔵されている正税の出納の際に使用されたのが、倉印(正倉印)。
国司が所持し、出納の事務処理に関して捺印したもの。
現存するのは隠岐国、駿河国(するがのくに=静岡県中部)、但馬国(たじまのくに=兵庫県北部)の3つのみ。
「玉若酢命神社 社家億岐家住宅」として建物自体も国の重要文化財に指定。
江戸時代後期、1801(享和元)年築の隠岐を代表する大型民家で、神棚をまつる「神前の間」や「禊部屋」(みそぎべや)を持つなど、社家としての特徴を有しています。
大正6年、「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競争」(京都・三条大橋〜東京・上野不忍池/516km・23区間)を読売新聞社が主催した際、神宮皇學館の武田千代三郎が「駅伝」と命名したのです。
この駅伝の成功で、早大、慶大、明大、東京高師(現・筑波大)の4校によって始まったのが、「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝競走)。
第1回大会の名称は、「四大校駅伝競走」でした。
億岐家住宅・宝物殿 | |
名称 | 億岐家住宅・宝物殿/おきけじゅうたく・ほうもつでん |
所在地 | 島根県隠岐郡隠岐の島町下西713 |
関連HP | 隠岐ジオパーク推進機構公式ホームページ |
電車・バスで | 西郷港(ポートプラザ)から隠岐一畑交通バス都万方面行きで10分、玉若酢神社前下車 |
ドライブで | 西郷港から約2.5km |
駐車場 | 玉若酢命神社駐車場(20台/無料)を利用 |
問い合わせ | 億岐家住宅・宝物殿 TEL:08512-2-0571 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材協力/隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会、隠岐の島町、島根県観光振興課
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