佐賀県嬉野市塩田町にある平安時代を代表する歌人・和泉式部(いずみしきぶ)の名を冠した公園が、和泉式部公園。和泉式部は福泉寺(嬉野市杵島)で生まれ、塩田郷の大黒丸夫婦に引きとられ9歳までを過ごしたと伝えられており、和泉式部公園は和泉式部を顕彰する公園となっています。
和泉式部生誕伝承の地に築かれた公園
和泉式部は、幼少の頃から利発で器量がよく、歌もひとりでに詠むようになったと伝えられています。
通りかかった勅使(ちょくし)の質問に即興の和歌を作って答え、勅使を驚かせたことも。
その後、美しさと利発さゆえに京に召され、波乱に満ちた人生を送っているのです。
生まれ故郷の嬉野市には和泉式部にまつわる地名や伝説は数多く、嬉野市塩田町にある「五町田」(ごちょうだ)という字名(あざめい)は和泉式部が詠んだ「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」という歌に感動した天皇が、大黒丸夫婦へおくった「5町の田圃」に由来するのだとか。
平成4年、有明海を一望する小高い丘に完成した和泉式部公園には和泉式部のブロンズ像や歌碑が立っています。
桜の園、梅林、展望広場、見晴し台、わんぱく広場などがあるほか、草スキー場、アスレチックの森などの施設も併設。
公園に隣接の吉浦神社には、「元禄十三年庚辰歳謹献」の銘がある眼鏡橋「大黒丸橋」(佐賀県最古の眼鏡橋)も現存するほか、ツツジが700本植栽されたツツジの名所にもなっています。
画像協力/佐賀県観光連盟
全国各地にある和泉式部生誕伝承
和泉式部の出自、生誕地は、謎に包まれ、佐賀県嬉野市以外にも日本各地に残されています。
北限は、岩手県北上市で、福島県石川郡石川町にも式部が産湯を浴びた小和清水(こわしみず)があり、長野県下諏訪町にも出身地という伝承が残され、定かでありません。
墓所も数多く散在し、民俗学者・柳田國男は「式部の伝説を語り物にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世に諸国をくまなくめぐったから」と解説しています(詳しくは柳田國男『女性と民間伝承』を参照)。
柳田國男は、昭和6年11月1日刊の『旅と伝説』で、「和泉式部の足袋」という論文を寄稿しています。
子供のいない老夫婦が福泉寺の和尚に子をもらえという夢告を受け、福泉寺で雌鹿が赤子に乳を飲ませているのを目撃。その子を家に連れ帰ったところ、美人に育ったのですが、足の指がふたつに別れ、明らかに人間のものとは違っていました。それが和泉式部で、それを隠すために式部はいつも足袋を履いていたというストーリー。
民俗学者・柳田國男は、塩田町の和泉式部伝承にも強い関心があったことがわかります。
塩田町は、貿易港としての塩田津があり、承和2年(835年) の鎮守として丹生神社(たんじょうじんじゃ)を大和国(奈良県)から勧請していることを考えても、海路、京の都や畿内の国々とは密接な交流があったことがわかるので、有力な生誕伝承の地だといえるでしょう。
和泉式部公園 | |
名称 | 和泉式部公園/いずみしきぶこうえん |
所在地 | 佐賀県嬉野市塩田町五町田吉浦 |
電車・バスで | JR肥前鹿島駅から祐徳バス武雄温泉行きで10分、五町田下車、徒歩10分 |
ドライブで | 長崎自動車道武雄北方ICから約13km |
駐車場 | 100台/無料 |
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