唐津城は、初代唐津藩主の寺沢広高(てらざわひろたか)が、1602(慶長7)年から7年の歳月をかけて築城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれ、すでに廃城となっていた名護屋城の遺材を使用したとも伝えられます。松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に縄張りされた平山城で、「続日本100名城」にも選定。
満島山の山上に本丸が
満島山の山上に本丸が配され、西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の城です。
築城に際し寺沢広高は、松浦川の流路を変更。
東唐津側と地続きの満島山を切り離し、松浦川を堀としています。
東唐津側には日本三大松原として有名な虹の松原がありますが、これも唐津藩が防風林として松原の保護育成を行なったもの。
唐津藩の藩主は、寺沢家が2代・寺沢堅高(てらざわかたたか)が天草地方のキリシタン弾圧を厳しくし、島原の乱が発生したこともあり断絶したため、以降は譜代大名の大久保家、松平(大給)家、水野家、小笠原家と続き、明治維新を迎えています。
明治4年の廃藩置県により廃城に。
本丸跡は、舞鶴城(まいづるじょう)との別名があったことから、舞鶴公園として整備され、二の丸御殿跡には早稲田佐賀中学校・高等学校が建ち、侍屋敷のあった三の丸は市街化されています。
本丸大手門は城跡の中段広場(二ノ曲輪)から本丸へ上がる階段状の通路に位置しており、昭和41年に模擬櫓門が築かれています。
この模擬櫓門近くから平成28年には大手門の礎石とみられる遺構が発見されています。
美しい天守は観光的に築かれた模擬天守
天守は天守台までしか建築されなかったので、現在の天守はあくまで観光用の模擬天守ということに。
模擬天守は、昭和41年に建築されたもので、5層5階の天守が聳えています。
城内は、藩政時代の貴重な資料や武具などを展示するミュージアムになっています。
1階の城址広場に江戸時代の城下町ジオラマ、天守閣模型を展示。2階と3階が常設展示室で、唐津城関係資料と古唐津を展示。4階は企画展示室、5階は展望室です。
注目は展望室からの眺望で、虹の松原方面や、日本海の高島方面の眺望は、唐津城のベストショットポイントにもなっています。
平成元年、唐津市役所前に肥後堀と石垣を、平成4年、二の丸跡に時の太鼓を、さらに平成5年に市役所近くに三の丸辰巳櫓が復元されています。
唐津城 | |
名称 | 唐津城/からつじょう Karatsu Castle |
所在地 | 佐賀県唐津市東城内8-1 |
関連HP | 唐津観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR唐津駅から徒歩25分。またはタクシーで7分 |
ドライブで | 西九州自動車道(福岡前原道路)前原東ICから約27.2km |
駐車場 | 唐津市営東城内駐車場(168台/有料) |
問い合わせ | 唐津城 TEL:0955-72-5697/FAX:0955-72-5716 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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