岸岳城

岸岳城

佐賀県唐津市相知町(おうちちょう)、東松浦半島の北波多地区、標高320mの岸岳山頂にあった中世の城跡が岸岳城(きしたけじょう)。別名岸嶽城、鬼子岳城とも呼ばれ、松浦党の中心的存在だった波多氏の拠点。平安時代末期から鎌倉時代初期頃の築城と推測され、戦国時代に廃城になっています。

上松浦地方の松浦党を担った、波多氏の根拠地

かつては大規模な山城でしたは、山頂付近は急崖に囲まれる天然の要害ですが、あまりに急峻な地形から常駐するには適さず、平時は山の麓に居を構えていたと推測されます(相知町佐里集落が城下町)。
波多氏17代当主・波多親(はたちかし)は、豊臣秀吉の九州征伐の際、島津氏の討伐に兵を派遣することがないため、不興を買い、さらに朝鮮出兵に備え、波多氏の領内である名護屋に前線基地(名護屋城)を築こうとすると、それに不向きであることを上申して、秀吉が博多に着陣した際も参陣が遅れ、朝鮮出兵・文禄の役でも軍令違反を起こし、ついに所領が没収されてしまいます。

名護屋城の普請を務めた寺沢広高(てらざわひろたか)が上松浦郡一帯を領有し、唐津城を築いて岸岳城も廃城に。

城跡一帯には今も苔むした石垣、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が残され往時を偲ばせています。
これらの石塔は波多氏一門の墓「岸岳末孫の墓」とも呼ばれ、波多氏無念の証と、長らく当地では言い伝えられてきたもの。

岸岳古窯跡

岸岳登山口近くには、初期段階の唐津焼(古唐津)を焼成した窯跡群で、日本最古の割竹式登窯「岸岳古窯跡」(きしだけこようあと)も残されています。

倭寇の拠点ともなり、中国・朝鮮との貿易も行なった波多氏の影響下で、16世紀末頃、朝鮮の陶工が伝えたとされる窯跡群の総称です。
周辺には8つの窯跡が残されていますが、このうち、皿屋窯、皿屋上窯、帆柱窯、飯洞甕上窯・飯洞甕下窯の5つの窯跡は「史跡 肥前陶器窯跡」として、国の史跡に指定。

岸岳城
名称 岸岳城/きしたけじょう
所在地 佐賀県唐津市北波多稗田
関連HP 唐津市公式ホームページ
駐車場 登城口(5台/無料)
問い合わせ 唐津市生涯学習文化財課 TEL:0955-72-9171
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

唐津城

唐津城は、初代唐津藩主の寺沢広高(てらざわひろたか)が、1602(慶長7)年から7年の歳月をかけて築城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれ、すでに廃城となっていた名護屋城の遺材を使用したとも伝えられます。松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満

 

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