佐賀県太良町の南端、有明海に突き出すようにある竹崎島にある中世の城跡が竹崎城(竹崎城址展望台)。竹崎島の灯台の建つ東側(有明海側)の丘の上に、中世の山城と水城の性格をあわせもつ竹崎城があります。南北朝時代の永和4年・天授4年(1378年)、島原一帯を領有した有馬隆泰によって築城され、島原の乱(島原・天草一揆)後に破却されています。
南北朝時代、南朝方の拠点の城として築城
南北朝時代、南朝の懐良親王(かねよししんのう=後醍醐天皇の皇子で、南朝の征西大将軍として、肥後国隈府=菊池市を拠点に九州における南朝方の全盛期を築く)に味方して、永和4年・天授4年(1378年)頃、島原の有馬泰隆が築城したと伝えられています。
幼少だった3代将軍足利義満を補佐した管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)は、貞治6年・正平22年(1367年)に今川貞世(了俊)を九州探題に任命。
その今川軍への対策として築城されたもので、今川軍の大軍を退けたとも。
戦国時代には、有馬氏と龍造寺氏の勢力の境界として攻防を繰り広げ、ついに戦国時代末、龍造寺家晴(りゅうぞうじいえはる)の出城になっています。
城跡は現在、石垣と空壕の一部を残すのみですが、竹崎島の地形を利用した山城と水城との性格を併せ持った城だったと推測されています。
往時の竹崎城を再現した竹崎城址展望台があるのは竹崎観世音寺の拝み堂があったとされる場所で(城の遺構はその南西部)、本丸跡ではありません(歴史的な考証に基づく建物ではなく、展望施設・郷土資料館です)。
1階は漁具資料館になっており、かつてこの地で盛んだった潜水漁で使われた潜水服や漁具、当時の写真などを展示しています。
2、3階が展望台で、高台に位置するため眺望は抜群。
晴れた日には東に有明海から阿蘇の山並み、西に多良山系、南に雲仙岳、北に有明佐賀空港などが一望のもと。
3月下旬〜4月上旬の桜、10月下旬頃にはコスモスの花見も可能です。
竹崎城(竹崎城址展望台) | |
名称 | 竹崎城(竹崎城址展望台)/たけざきじょう(たけざきじょうしてんぼうだい) |
所在地 | 佐賀県藤津郡太良町大浦甲 |
関連HP | 太良町観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR肥前大浦駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 長崎自動車道嬉野ICから約39km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 太良町観光協会 TEL:0954-67-0065/FAX:0954-67-0067 |
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