静岡県下田市、ペリー艦隊来航記念碑のある下田港から了仙寺へと続く平滑川沿いの道が、ペリーロード。嘉永7年5月13日(1854年6月8日)、軍楽隊演奏に合わせ300人ものペリー艦隊水兵が行進し、下田の人々を驚かせた道です。現在では喫茶店や骨董店が並び、散策に絶好の道に。
ペリー了仙寺まで行進した開国の歴史を今に伝える道
嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に締結された日米和親条約により、下田港の即時開港、箱館港の翌年開港が決まり、下田沖に停泊したペリー艦隊7隻(ペリー提督は旗艦ポーハタンに乗船/サスケハナは中国へ、サラトガは本国へ条約を携えて帰ったため、下田には7隻が来航)。
ペリー艦隊の下田滞在は70日を数え、そのうち1ヶ月は翌年3月開港となる箱館の調査に費やしています。
非公式ながら、3月24日、ペリー提督は、わずか7人を随行させて弁天橋近くに上陸し、休息所として提供された了仙寺までの約700mを移動。
了仙寺では、黒川嘉兵衛(浦賀奉行支配組頭)から、お茶の接待(保命酒、みかんの一種・九年母、菓子など)を受けています。
ペリーがわずかな随行とともに歩いた道も、現在のペリーロードで、とくに逢坂橋から続く弥治川沿いは、昔ながらの雰囲気を色濃く残しています。
逢坂橋近くに並ぶ古い建物は、骨董屋や喫茶店などになっており、町歩きを存分に楽しむことができます。
ペリーロードを歩くなら、まず了仙寺を拝観し、寺に車を停めて出かけるのがおすすめ。
ペリーロード周辺には伊豆軟石を使った古い家が残されていますが、伊豆軟石には火山から流れ出した溶岩の「堅石」と、火山が噴出した火山灰や軽石からなる凝灰岩と呼ばれる地層の「軟石」の2種類あり、加工に向くのは、ペリーロードにも使われる軟石。
嘉永7年5月22日(1854年6月17日)、ペリー提督は上陸して了仙寺本堂で、和親条約の細則を定めた全13ヶ条からなる下田条約を締結、5月25日に条約書の交換が行なわれ、目的を果たしたペリー艦隊は6月1日帰国のため、下田港を出港しています。
ペリー提督が下田に滞在した70日間には、下田奉行設置、ペリー提督上陸、吉田松陰・金子重輔の密航事件、ポーハタン等5隻による箱館港への事前調査、日米和親条約附録下田条約調印、欠乏品供給の名目による事実上の貿易開始と目まぐるしく歴史が動いています。
大役を担ったペリーは、帰国後、1857年に海軍を退役し、『ペリー艦隊日本遠征記』(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan)の執筆に尽力、1858年3月4日ニューヨークで死去(63歳)しています。
ペリーロード | |
名称 | ペリーロード/ぺりーろーど |
所在地 | 静岡県下田市3丁目 |
関連HP | 下田市公式ホームページ |
電車・バスで | 伊豆急下田駅から徒歩15分 |
ドライブで | 西湘バイパス石橋ICから約92km |
駐車場 | 下田市ペリーロード駐車場(33台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 下田市観光交流課 TEL:0558-22-3913 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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