清水港船宿記念館「末廣」

清水港船宿記念館「末廣」

静岡県静岡市清水区港町1丁目、エスパルス通りの巴川に架かる港橋東詰にあるのが、清水港船宿記念館「末廣」。巴川の港橋周辺は、甲州米などを荷揚げした地。記念館は、明治19年、清水次郎長が清水波止場に開業した船宿「末廣」を復元したものです。

次郎長終焉の地、船宿「末廣」を記念館として復元

清水港船宿記念館「末廣」
清水次郎長の英語塾紹介コーナー(2階展示室)

巴川の尻という意の江尻宿は、巴川の砂洲上にできた東海道の宿場町。
幕末・明治の侠客として有名な清水次郎長は、明治維新後、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)と知り合い、旧幕臣救済のため、富士山南麓の開墾、さらには油田開発、茶の販路拡大のための港湾整備、私塾の英語教育の支援に乗り出し、社会事業家、実業家としての側面をも有しています。

山岡鉄舟との懇意になるのは、咸臨丸事件から。
幕府所有の軍艦「咸臨丸」(かんりんまる=蒸気コルベット船)が暴風雨のため房州沖で破船し、修理のため清水湊に停泊した際、新政府軍によって攻撃を受け、船員全員が戦死するという事件で、戦死した乗組員の遺体を、「死ねばみな仏にござる。仏に官軍も賊軍もない」と手厚く葬ったのが清水次郎長だったのです(新政府軍に咎められるため、葬ることも憚れた時代のこと)。

明治26年、風邪をこじらせて死去していますが(満73歳没)、没したのは、次郎長生家にも近い清水湊の船宿「末廣」だったのです。

実際の船宿「末廣」はドリームプラザの近くの清水波止場、現在の水上バスの乗り場あたりに建っていました。
昭和13年、桜橋の北側の鶴舞町に移築され(そのため奇跡的に戦災から焼け残りました)、平成13年、解体時の部材を廃棄する際に次郎長ゆかりの建物であることが判明、往時の柱や木材などを流用して復元したのです。

清水港船宿記念館「末廣」は、まさしく清水次郎長の顕彰施設ですが、次郎長の足跡は、清水港の近代化と国際貿易港としての発展の基礎となる歴史でもあるので、資料館としての価値も大。
1階の展示室では清水次郎長と船宿「末廣」の軌跡を、2階の和室では明治大正の雰囲気を味わえる室内で郷土民俗資料を展示しています。
喫茶コーナーでは名物「指まんじゅう」や抹茶を味わうことも可能。

時間が許せば、かつて船宿の建っていた水上バスのりば、清水港の歴史を紹介する「フェルケール博物館」、そして次郎長生家(旧高木家住宅)などにも立ち寄りを。

清水港船宿記念館「末廣」
名称 清水港船宿記念館「末廣」/しみずこうふなやどきねんかん「すいひろ」
所在地 静岡県静岡市清水区港町1-2-14
関連HP 静岡市公式ホームページ
電車・バスで 静岡鉄道新清水駅から徒歩15分
ドライブで 東名高速道路清水ICから約5km
駐車場 2台/無料
問い合わせ 清水港船宿記念館「末廣」 TEL:054-351-6070
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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