三光コスモス祭り|中津市|2024
2024年10月18日(金)~10月31日(木)、大分県中津市で『三光コスモス祭り』が開催。八面山の裾野、三光原口・成恒地区の水田15.6haに2700万本のコスモスが植栽される「三光コスモス園」。コスモスの花の色を使っ…
2024年10月18日(金)~10月31日(木)、大分県中津市で『三光コスモス祭り』が開催。八面山の裾野、三光原口・成恒地区の水田15.6haに2700万本のコスモスが植栽される「三光コスモス園」。コスモスの花の色を使っ…
2024年8月24日(土)〜8月25日(日)、大分県中津市で『鶴市花傘鉾祭り』が開催。人柱になったというお鶴と市太郎(小市郎とも)という母子の霊を慰める五穀豊穣を願う行事。色鮮やかに飾られた逆鉾の移動距離は、なんと30k…
大分県中津市、古来から霊山として知られる八面山の山腹、にある釈迦涅槃(しゃかねはん=釈迦入滅の姿)の像が、神護寺涅槃像。山麓に横たわる巨大な磐座(いわくら)に神護寺初代住職・篠原覚瑞が世界平和を祈念して、全長7.8m、高…
大分県中津市留守居町にあるのが、福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館。数回の外遊で学んだ知識で多くの子弟の教育にあたり、幕末から明治の文明開花期、慶應義塾を創立し、日本の民主化に深く関わった啓蒙思想家・福沢諭吉の旧居で、福沢諭吉…
大分県中津市三ノ丁、中津城下・三の丸跡にある江戸時代の門が、生田門(しょうだもん)。奥平中津藩家老・生田家の門です。福沢諭吉の強い助言で、明治4年11月、中津市学校が開校した際には校門として使われ、「天は人の上に人を造ら…
大分県中津市耶馬溪町栃木、昭和46年10月1日、野路駅〜守実温泉駅間(25.7km)の廃止に伴って廃駅となった駅跡が、大分交通耶馬渓線・津民駅跡(おおいたこうつうやばけいせん・つたみえきあと)。廃線跡は現在、大分県道41…
大分県中津市耶馬溪町柿坂、昭和46年10月1日、野路駅〜守実温泉駅間(25.7km)の廃止に伴って廃駅となった駅跡が、大分交通耶馬渓線・耶鉄柿坂駅跡(おおいたこうつうやばけいせん・やてつかきさかえきあと)。廃線跡は現在、…
大分県中津市本耶馬渓町冠石野、昭和46年10月1日、野路駅〜守実温泉駅間(25.7km)の廃止に伴って廃駅となった駅跡が、大分交通耶馬渓線・冠石野駅跡(おおいたこうつうやばけいせん・かぶしのえきあと)。廃線跡は現在、大分…
大分県中津市山国町中摩、昭和46年10月1日、野路駅〜守実温泉駅間(25.7km)の廃止に伴って廃駅となった駅跡が、大分交通耶馬渓線・白地駅跡(おおいたこうつうやばけいせん・しらじえきあと)。廃線跡は現在、大分県道411…
大分県中津市山国町中摩、昭和46年10月1日、野路駅〜守実温泉駅間(25.7km)の廃止に伴って廃駅となった駅跡が、大分交通耶馬渓線・中摩駅跡(おおいたこうつうやばけいせん・ちゅうまえきあと)。廃線跡は現在、大分県道41…
大分県中津市三ノ丁にあるレトロな公衆浴場が、汐湯(しおゆ)。中津城下の南西に位置し、脇には海水を引き入れた堀跡が残るロケーション。銭湯の建物は、もともと明治29年創業の「中津海水湯」。明治15年に料亭・旅館を創業後、隣接…
平成9年に行なわれた「日本異様難読山名コンテスト」(『パソコン通信NIFTY-Serve』)で難読山名日本一に選ばれた山が、大分県中津市山国町と日田市との境に聳える標高706.7mの一尺八寸山(みおうやま)。当然ながら、…
大分県中津市大貞、薦神社(こもじんじゃ)近くにある地元では桜の名所として知られる公園。御澄池、馬場池、大池、東夫婦池、西夫婦池などの池の周囲に、野球場、アリーナ(中津市総合体育館)、自由広場、多目的広場などが整備されてい…
大分県中津市、標高659.4mの八面山山麓に湧く、八面山金色温泉(はちめんざんかないろおんせん)。宿泊棟の「お宿こがね山荘」と日帰り温泉施設の「金色温泉館」、古民家を移築したレストラン「香露庵」、ギャラリー、リラクゼーシ…
大分県中津市のシンボル、八面山。テーブルマウンテンとして独特の山容の山は、古くから信仰の対象になり、山上に箭山権現(ややまごんげん/現・箭山神社)が祀られています。その箭山神社近く、車道の終点に令和2年3月に整備されたテ…
大分県中津市、どこから眺めても同じ形というのが名の由来で、中津市のシンボル的存在担っているのが、八面山。標高659.4mの低山ながら、中津の人はこの山を見ると故郷に帰ってきたことを実感するのだとか。山頂のアンテナ群までは…
大分県中津市本耶馬渓町、羅漢山の中腹に位置する羅漢寺と山麓とを結び、耶馬渓リフトが運行するのが羅漢寺観光リフト。駐車場から羅漢寺への移動は徒歩またはリフト。駅は、山麓の禅海堂駅、羅漢寺に近い羅漢寺駅とさらに上部の羅漢寺山…
大分県中津市を流れる山国川水系の山移川に昭和60年完成した耶馬溪ダム。その際に出た大量の土砂は、一端ダムの堰堤下に埋められて広場となっていましたが、これを昭和62年、町民の手により公園として整備したのが、現在の耶馬溪ダム…