両子岩
長崎県南島原市加津佐町の海岸部、国道251号沿いにある奇岩が、両子岩(ふたごいわ)。は、150万年前(第四紀)に火山活動があった国崎半島の火山に由来する土石流堆積物(国崎安山岩)が、波の浸食によって削られて誕生した人の頭…
長崎県南島原市加津佐町の海岸部、国道251号沿いにある奇岩が、両子岩(ふたごいわ)。は、150万年前(第四紀)に火山活動があった国崎半島の火山に由来する土石流堆積物(国崎安山岩)が、波の浸食によって削られて誕生した人の頭…
長崎県南島原市南有馬町、島原・天草一揆(島原の乱)の主戦場となった原城三の丸跡にあるのが板倉重昌の碑。島原の乱の征討使として着任した板倉重昌は、新たな征討使、老中・松平信綱が派遣されたのにあせり、寛永15年(1638年)…
長崎県南島原市南有馬町谷水地区にある「日本の棚田百選」にも選ばれている美しい棚田が谷水の棚田(たにみずのたなだ)。平地が少なく狭い耕地を有効に利用するために、斜面に石垣を築き、溜池の水を使って水田耕作が行なわれています。…
長崎県南島原市の諏訪池(すわのいけ/雲仙市)近くの山中、標高230mほどの高台に位置する縄文時代晩期終末の遺跡(墓地)が原山支石墓群(はらやましせきぼぐん)。日本国内の支石墓遺跡としては最古最大級のもので、原山ドルメンと…
長崎県南島原市の口之津港近くにある標高180mのピークが富士山。国土地理院の地形図にも富士山と記載され、「日本一低い富士山」ともいわれています。富士山は、150万年前、噴出した玄武岩のマグマ活動によって形成された山で、島…
長崎県南島原市口之津町の早崎漁港にある20本ほどのアコウの群落は、「あこう群落」として南島原市の天然記念物に指定されています。アコウはクワ科の半常緑高木で、南九州や四国など温暖な地方に自生。九州でも佐賀県あたりが北限とさ…
島原半島の南端、早崎半島(長崎県南島原市)の突端の高台に建つのが瀬詰崎展望台。幅5kmほどの早崎瀬戸を挟んで天草下島と向き合う場所にあり、ワイドなパノラマが期待できます。眼下の岩礁地帯に瀬詰埼灯台があり、有明海の入口を見…
南島原市の口之津港近くに立つ「南蛮船来航の地」碑(長崎県の史跡)。永禄10年(1567年)、ポルトガル船3隻が、さらに天正4年(1576年)、天正7年(1579年)、天正8年(1580年)、天正10年(1582年)にもポ…
島原半島の南端にある天然の良港、口之津。永禄10年(1567年)、ポルトガル船3隻が入港して以来、戦国時代には南蛮貿易の拠点ともなりました。そんな口之津の歴史を紹介するのが南島原市の口之津歴史民俗資料館・海の資料館。レト…
南有馬運動公園にある南島原市の施設が南島原市有馬キリシタン遺産記念館で、島原の乱(島原・天草一揆)で知られる国指定史跡で世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産でもある原城跡の発掘で出土した遺物を…
島鉄フェリー(島原鉄道)は、島原半島南端の口之津港(長崎県南島原市)と天草の鬼池港(熊本県天草市)を所30分で結ぶ航路。「フェリーくちのつ」(548t)、「フェリーあまくさII」(620t)の2隻が2つの港を同時出航。島…
長崎県南島原市、口之津港の入口、土平崎の高台に建つのが口之津灯台。明治13年5月10日に初点灯という歴史ある灯台です。明治時代に三池炭鉱で採掘された石炭の積出港として栄えた長崎県南島原市口之津港の入口に建設された、八角形…
長崎市の平和公園にある平和祈念像の作者で、明治17年12月16日、長崎県南高来郡南有馬村白木野宮野木場(南島原市南有馬町丙宮野木場)に生誕の彫刻家・北村西望(きたむらせいぼう)。その生家を保存したのが北村西望記念館「西望…
長崎県南島原市深江町、道の駅「みずなし本陣ふかえ」に隣接し、普賢岳(ふげんだけ)の噴火によって生じた土石流(平成4年8月8日~8月14日)の被害を受けた家屋を保存展示する公園が土石流被災家屋保存公園。大型のテント内に3棟…
島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されてい…
キリシタン大名・有馬晴信(ありまはるのぶ)の領有する日野江城下に、天正8年(1580年)、ヨーロッパのイエズス会が開いた初等教育機関がセミナリヨ。現在の南島原市本町・三尺町地区に慶長6年(1601年)〜慶長17年(161…
有明海に臨む原城の北3kmほどの南島原市の山中にある中世の平山城の城跡が日野江城跡(ひのえじょうせき)。島原半島一帯を支配した領主・有馬氏の居城で、有馬貴純(ありまたかずみ)の城主時代の明応5年(1496年)には支城とし…