千葉県酪農のさと
千葉県南房総市大井にある千葉県酪農のさとは、「日本酪農発祥の地」に整備された牧場。3.5haの敷地に広大な芝生広場やヤギの放牧地、散策路や水遊びが楽しめる親水公園が配されています。「日本酪農発祥の地」とされるのは、江戸時…
千葉県南房総市大井にある千葉県酪農のさとは、「日本酪農発祥の地」に整備された牧場。3.5haの敷地に広大な芝生広場やヤギの放牧地、散策路や水遊びが楽しめる親水公園が配されています。「日本酪農発祥の地」とされるのは、江戸時…
南房総・白浜(千葉県南房総市白浜町根本)にある御神根島(おがみねじま)を中心とした風光明媚な海岸が根本海岸。若山牧水は「白鳥(はくてう)は 哀(かな)しからずや 海の青 そらのあをにも 染まずただよふ」(明治40年12月…
現在国内に5ヶ所(網走、函館、鮎川、和田、太地)ある沿岸捕鯨の地、和田浦(千葉県南房総市和田町)を走る国道128号(外房黒潮ライン)沿いに位置する道の駅が道の駅和田浦WA・O!。観光・地域情報発信ステーション 「WA・O…
千葉県南房総市川田の千葉県道88号(富津館山線)沿いにある道の駅が道の駅三芳村鄙の里。広域合併前の三芳村(みよしむら)の観光拠点だった道の駅。三芳村は実は奈良時代に安房国の国府が置かれた場所。日本の酪農発祥の地でもあり、…
千葉県南房総市二部、富津館山道路の富山PA(ハイウェイオアシス富楽里)に隣接し、千葉県道184号(外野勝山線)沿いにある道の駅が道の駅富楽里とみやま。富楽里(ふらり)とは、「富山町の楽しい里」の意。観光途中の寄り道という…
千葉県南房総市白子、房総フラワーライン・千葉県道297号(和田丸山線)沿いに建つ道の駅が道の駅ローズマリー公園。地元の農産物や、地ものを生かした加工品を販売し、「南房総の美味しさをあなたに伝えたい」をコンセプトとした食の…
千葉県南房総市白浜町滝口、南房総の最南端を走る国道410号近くに位置する房総半島最南端の道の駅が、道の駅白浜野島崎。駐車場とトイレ、休憩施設、農産物の直売コーナー「FarmersConcierge」があり、パンフレットな…
千葉県南房総市千倉町大川にある1月〜3月頃に花摘みができるのが大川のお花畑。有名な白間津を筆頭に、平磯、千田、そして大川地区を総称して七浦と呼び、各地に花畑がありますが、花摘みの穴場的な存在がこの大川のお花畑。海岸を走る…
千葉県南房総市千倉町千田(ちくらまちせんだ)、海岸沿いを走る千葉県道251号(千倉港線)途中、道の駅ちくら潮風王国の前面に広がる花卉(かき)露地栽培の花園が千田のお花畑。現在12軒ほどの農家が花卉を栽培、1月〜3月の花摘…
千葉県南房総市の千倉町を走る国道410号(房総フラワーライン・第2フラワーライン)沿いは、冬場の霜の降りない温暖な気候を活かし花卉(かき)栽培が盛ん。平磯のお花畑は、例年1月上旬〜3月中旬に花摘み、花の直売を実施(期間は…
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口・浦賀水道に突き出た全長2kmの大房岬。江戸時代に江戸湾防備の砲台が置かれ、戦前には、東京湾要塞の要塞になったことで開発を免れ、自然が守られることに。岬一帯が大房岬自然公園として整備され…
千葉県南房総市千倉町千田、春にはお花畑が広がる千葉県道251号(千倉港線)沿いあるのが道の駅ちくら潮風王国。広場に漁船のモニュメントが置かれ、レストラン、ショップ、新鮮野菜市場などが集まった施設。眼前には千田のお花畑、近…
千葉県南房総市富浦町の内陸部を走る千葉県道185号(犬掛館山線)沿いにある道の駅が、道の駅おおつの里花倶楽部。国内最大級の全天候型花摘み園を併設し、春の花摘みはもちろんのこと、フラワーアレンジメント体験、イチゴ狩りやメロ…
千葉県南房総市、富津館山道路富浦ICにも近い南房総市富浦地区を走る国道127号沿いにある道の駅が、道の駅とみうら枇杷倶楽部(びわくらぶ)。千葉県最初にオープンした道の駅ですが、充実の施設で誕生以来、全国でもトップクラスの…
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口に突き出した緑豊かな半島にある大房岬砲台跡(東京湾要塞)。大房岬の砲台は江戸時代後期の文化8年(1811年)に江戸湾防備のために備えられた13門が始まり。その後、東京湾の入口を守る重要性…
千葉県南房総市の千倉町を走る国道410号(房総フラワーライン・第2フラワーライン)沿いには、白間津のお花畑(しらまづのおはなばたけ)と呼ばれる花園があります。10月~翌6月にかけて30軒ほどの農家で花が栽培され、最盛期の…
千葉県南房総市の和田地区は南房総における花卉(かき)栽培の発祥の地。明治26年、朝夷郡和田村に生まれた間宮七郎平(まみやしちろうべい)が花畑の裏山の貯水池周辺を開墾し、開いたのが抱湖園で、その時植えた寒桜が、旧暦の元旦に…
千葉県南房総市の山間にある上三原(かみみはら)の集落と海辺の和田浦を結んだ道。古くは塩汲み、物資の運搬、通学路として活用された地域の生活の道ですがが、花嫁行列が行き交うこともあり、いつしか花嫁街道と呼ばれるようになったも…