徳願寺『お十夜会・寺宝一般公開』|市川市|2024
2024年11月16日(土)、千葉県市川市の徳願寺で『お十夜会・寺宝一般公開』。海巌山徳願寺は、徳川家と宮本武蔵ゆかりの伝説が残るお寺で、円山応挙の幽霊画、宮本武蔵の筆による書画など寺宝も多数保有する名刹。毎年1回「お十…
2024年11月16日(土)、千葉県市川市の徳願寺で『お十夜会・寺宝一般公開』。海巌山徳願寺は、徳川家と宮本武蔵ゆかりの伝説が残るお寺で、円山応挙の幽霊画、宮本武蔵の筆による書画など寺宝も多数保有する名刹。毎年1回「お十…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿・金倉橋のたもとが、宮本武蔵決闘の場。慶長元年(1596年)、弱冠13歳で人生最初の決闘を行なったのが、この金倉橋のたもとだとつたえられています。『五輪書』自序(序…
岡山県美作市にある智頭急行智頭線の駅が宮本武蔵駅。平成6年12月3日の開業で、日本で初めて人名が付けられた駅です。智頭急行は、兵庫県の上郡(かみごおり)駅と鳥取県の智頭駅間、56kmを結ぶ第三セクター鉄道。無人駅のホーム…
岡山県美作市宮本、武蔵の里五輪坊の回遊式庭園そばに立つのが青年期宮本武蔵像。2mもの長身の武蔵像は、晩年の自画像を基に、コンピューターグラフィックにより復元したもの。制作は、文化勲章受賞者で彫刻界の巨匠、富永直樹(とみな…
熊本城の東、熊本県熊本市中央区千葉城町にある宮本武蔵ゆかりの史跡が武蔵の井戸跡。晩年の武蔵が暮らしたのは熊本城の東、千葉城の跡。旧NHK熊本放送局(平成29年移転)の駐車場の隅に武蔵が使ったとされる井戸の跡が残っています…
岡山県美作市宮本、智頭往来(ちづおうらい=因幡街道)に面して建つ神社が讃甘神社(さのもじんじゃ)。古くは荒巻神社とも呼ばれた、宮本武蔵ゆかりの神社。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)。宮本武蔵の生家跡とされ…
岡山県岡山市北区にある岡山県ゆかりの美術品を収集・展示するミュージアムが岡山県立美術館。花崗岩の岡山産万成石(まんなりいし)と有田焼を配したモダンな外観は、岡山城をイメージしたもの。館内では、雪舟、宮本武蔵の水墨画、洋画…
熊本県熊本市にある宮本武蔵の葬儀が行なわれた泰勝寺(たいしょうじ)の跡、立田自然公園にあるのが宮本武蔵供養塔。熊本藩主・細川忠利(ほそかわただとし)に招かれ晩年を肥後(熊本)で過ごした宮本武蔵は、正保2年(1645年)に…
熊本県熊本市にある宮本武蔵の墓、武蔵塚を中心に築かれた公園が武蔵塚公園。小倉藩から熊本藩に加増移封となった熊本藩主・細川忠利(ほそかわただとし)に招かれて肥後で晩年を過ごした宮本武蔵は、正保2年(1645年)、「恩顧をこ…
熊本県熊本市の北西部、金峰山西麓にある曹洞宗の寺が雲厳禅寺(うんがんぜんじ)。南北朝時代の観応2年・正平6年(1351年)、足利直義(あしかがただうじ)の招きで来日した元の禅僧・東陵永璵(とうりょうえいよ)が開山したと伝…
熊本県熊本市、雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の境内、奥の院にある洞窟・霊岩洞( れいがんどう )は、寺よりも歴史が古く、その昔、中国から四面馬頭観世音像を運んだとき、舟が転覆し観音像が漂着、この霊巌洞に安置されたと伝えられて…
岡山県美作市、鎌坂峠(釜坂峠)へと続く旧因幡街道(姫路と鳥取を結ぶ旧街道)の途中にあるのが平尾家。宮本武蔵の姉、おぎんの嫁ぎ先と伝えられている旧家。庭には樹齢450年の天然記念物タラヨウの古木が生い茂る、茅葺きの大きな家…
因州鳥取(現・鳥取県鳥取市)と山陽の藩州赤穂(現・兵庫県赤穂市)を結ぶ旧因幡街道(きゅういなばかいどう)の要衝、旧美作国宮本村(現・岡山県美作市宮本)から鎌坂峠へと続く山道手前にある湧き水が、一貫(壱貫)清水。冷たく清ら…
二天一流兵法の開祖、剣豪・宮本武蔵の生誕の地は播磨生誕説(現・兵庫県高砂市米田町)、美作国宮本村(現・岡山県美作市宮本)誕生説がありますが、岡山県は美作市宮本の平田家が、宮本武蔵生家跡としており、吉川英治の小説『宮本武蔵…
昭和46年、剣聖・宮本武蔵を祀る神社として、宮本武蔵生誕の地という伝承のある美作市の地元奉賛会によって建立されたのが武蔵神社。不敗神話を誇る武蔵にあやかりたいと、スポーツの必勝祈願や受験の合格祈願に訪れる人が多いのが特長…
平安京の鬼門にあたるため、桓武天皇(かんむてんのう)が不動明王を安置したことに始まる真言宗の単立寺院が狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)。明治の廃仏毀釈後荒廃したものを昭和19年に再興。現在は芸事の上達や交通安全祈…
下関市の沖合400mに浮かぶ巌流島(がんりゅうじま)は、関門海峡に浮かぶ小島。正式名は船島ですが、佐々木小次郎の号である厳流から今では巌流島と呼ばれています。二刀流の達人・宮本武蔵と燕返しで知られる、佐々木小次郎が慶長1…
関門海峡に面した小倉は九州、瀬戸内の入口に位置する交通の要衝。戦国時代の末に尾張国出身の毛利勝信(もうりかつのぶ=森勝信)が九州平定と肥後国人一揆鎮圧の功労で秀吉から豊前国小倉領を拝して築城したのが小倉城始まり。江戸時代…