清水山城
長崎県対馬市厳原町、近世の城・金石城(最初に対馬藩藩庁が置かれた城)の背後にそびえる清水山(210m)の山上に、豊臣秀吉の命で文禄・慶長の役の兵站基地として築かれた城が、清水山城(しみずやまじょう)。壱岐島の勝本城ととも…
長崎県対馬市厳原町、近世の城・金石城(最初に対馬藩藩庁が置かれた城)の背後にそびえる清水山(210m)の山上に、豊臣秀吉の命で文禄・慶長の役の兵站基地として築かれた城が、清水山城(しみずやまじょう)。壱岐島の勝本城ととも…
長崎県対馬市美津島町、対馬にある天智天皇6年(667年)に築城された古代山城の金田城(かなたのき/国の特別史跡)の城郭の一角に、日露戦争に備えて明治34年に築かれた砲台の跡が城山砲台跡(じょうやまほうだいあと)。山上まで…
長崎県対馬市(つしまし)上対馬町、対馬の北端、韓国展望所のさらに北にあるのが、豊砲台跡(とよほうだいあと)。朝鮮半島に臨む対馬は、本土防衛の最前線で、島内にはなんと30を超える砲台が築かれて要塞化していましたが、「世界最…
対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸にそびえる烏帽子岳(標高176.3m)の山頂にあるのが烏帽子岳展望所。典型的なリアス式海岸で志摩にも似た多島美を誇る浅茅湾を一望にする展望所となっています。車で展望所まで上るこ…
長崎県対馬市にふたつある運河のうちのひとつ。ひとつは日露戦争の直前に帝国海軍が掘削した万関瀬戸、そしてもう1ヶ所が、江戸時代初めの1672(寛文12)年に開削された大船越瀬戸(おおふなこしせと)です。対馬の西岸と東岸を結…
対馬(長崎県対馬市)にある対馬西部の浅茅湾(あそうわん)と東部の三浦湾(みうらわん)をつなぐ運河。運河上には国道382号の万関橋(現在の橋は3代目)が架橋されています。旧海軍の開削した運河で、建設当初は久須保水道と呼ばれ…
対馬に築かれた宋氏の居城金石城の大名庭園。旧金石城庭園は、かつての厳原中学校の校庭を発掘調査した結果、中島を擁する大規模な泉水が造営されていたことが判明。それを大規模な発掘調査を行なって江戸時代の大名庭園を蘇らせたもので…
戦国時代の初期、1528(享禄元)年に、宗将盛(そうまさもり)が対馬に築いた金石屋形(かねいしのやかた)を前身とする宗氏の居城跡が金石城跡。対馬市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょ…
長崎県対馬市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の古社が和多都美神社(わたづみじんじゃ)。海神である豊玉彦尊が対馬に宮殿を築いた跡地といわれ、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)…
日本の全島数(周囲が0.1km以上の島)は海上保安庁によれば6852島。「特定有人国境離島地域」として国から指定を受けた国境の島には、食を含めた独自の文化、歴史が育まれています。九州の北、玄界灘に浮かぶ対馬(つしま)は、…