日本100名城 九州・沖縄16城
九州・沖縄は16城が日本100名城に選定。日本三名城に数えられる熊本城が有名ですが、古代に築かれた大野城(おおののき)、秀吉の朝鮮出兵の拠点となった名護屋城、そして世界遺産となった沖縄の城(グスク)など、大陸との緊張関係…
九州・沖縄は16城が日本100名城に選定。日本三名城に数えられる熊本城が有名ですが、古代に築かれた大野城(おおののき)、秀吉の朝鮮出兵の拠点となった名護屋城、そして世界遺産となった沖縄の城(グスク)など、大陸との緊張関係…
四国には往時の天守が現存する「現存12天守」のうち、4城がある、現存天守密集地域。四国というように4国(4県)なのに、日本100名城に選定される城の数は倍以上の9城。とくに愛媛県には多く、5城が選定されています。1県で5…
中国地方の瀬戸内海側、山陽道は、現在の岡山県、広島県、山口県の3県。近畿と西国を結ぶ幹線ルート、そして重要な交易ルートの瀬戸内海沿いということもあり、名城が数多いエリアです。100名城に選定されるのは、津山城、備中松山城…
因幡国(いなばのくに)、伯耆国(ほうきのくに)、出雲国(いずものくに)、石見国(いわみのくに)、隠岐国(おきのくに)の5国が山陰。日本100名城に選定されるのは因幡国の鳥取城、出雲国の松江城と月山富田城、そして石見国の津…
富山、石川、福井の北陸3県には5つの城が日本100名城に選定。有名な加賀百万石の藩庁・金沢城、水堀と曲輪の保存率が日本一の高岡城、日本五大山城に数えられる七尾城、天守が現存の丸岡城、戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で発掘さ…
東北地方の名城は、奈良時代に大和朝廷の北方警備の拠点となった多賀城から、新政府軍と幕府軍(奥羽列藩同盟)の激戦地となった若松城まで、古代から近世までの多様な城があるのが特長です。中世に築かれ八戸氏の拠点となった根城、伊達…
甲州=山梨県、信州=長野県、越後=新潟県の甲信越エリアの「日本100名城」は全部で9城。戦国時代は、武田信玄の甲斐、上杉謙信の越後、そして信玄の侵攻により信玄と謙信が激突した信濃という激動の時代でしたが、江戸時代には信濃…
坂東(ばんどう)は、中世には坂東武士団の活躍の場。足利幕府を開いた足利氏のルーツは下野国足利庄(現・栃木県足利市)。戦国時代には北条家の城下町・小田原は、日本最大の城郭都市でした。豊臣秀吉による徳川家康の関東移封で江戸城…
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の…
東京都八王子市、標高446mの深沢山(城山)山頂部に本丸があるのが、日本100名城にも選定される山城、八王子城。戦国時代に北条氏照(ほうじょううじてる)が、甲州への往還沿い、甲斐の武田を睨む地に築いた小田原城の支城ですが…
東京都八王子市にある中世の山城で、「日本100名城」にも選定されるのが八王子城。小田原城の支城として北条氏照(ほうじょううじてる)が築いた城で、山麓の城山川沿いに居館のある御主殿曲輪(こしゅでんくるわ)を配し、山頂部に本…
愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城(現・今治城吹公園)。博物館となっている模擬天守前に立つのが、藤堂高虎公像(とうどうたかとらこうぞう)。関ヶ原の合戦後に今治を領有した藤堂高虎は、新たな…
愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城。今治城三の丸大手口にあたる門が、鉄御門(くろがねごもん)。今治城の土橋を渡った先、吹揚神社や天守への入口なので、人も車も24時間出入り可能となっていま…
東京都にある城跡のうち、日本100名城に選定されるのは、江戸城(東京都市代田区)だけ。続日本100名城選定は、八王子城、滝山城(いずれも八王子市)と、品川台場(港区)ですが、品川台場は幕末の江戸湾防備で築かれた砲台のため…
関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部…
明治4年の廃城の後、明治8年に取り壊されたのが松江城二の丸の櫓群。平成13年に復元された櫓のひとつが、藩主の居住空間である御殿もあった松江城二の丸の東南角を守る南櫓です。
かつて松江城の二の丸には、東の櫓、太鼓櫓、中櫓、南櫓、御月見櫓という5つの櫓が並んでいました。平成13年に松江藩大工頭・竹内右兵衛書つけ(松江城廓の実測記録)などをもとに復元された櫓のひとつが御貝足蔵と呼ばれた中櫓です。
島根県松江市、松江城の大手に面した二の丸の東側に平成13年に2層の南櫓、平櫓の中櫓、太鼓櫓が125年ぶりに復元(明治8年に取り壊されていました)。御廊下橋と呼ばれた千鳥橋あたりから眺めると、二の丸の高石垣、内堀、そして櫓…