一乗谷朝倉氏遺跡
1471(文明3)年から戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した城下町の跡が一乗谷朝倉氏遺跡。昭和42年から行なわれた調査で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で…
18福井県1471(文明3)年から戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した城下町の跡が一乗谷朝倉氏遺跡。昭和42年から行なわれた調査で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で…
32島根県月山富田城 島根県安来市を流れる富田川(とだがわ)の東岸、標高183.8mの月山(がっさん)の山上にある周囲1.5km四方という大規模な中世の山城が月山富田城(がっさんとだじょう)。戦国時代に一大勢力を誇った尼子氏の居城…
城跡・陣屋跡佐賀城に残る鯱の門は、1835(天保6)年から始まる本丸再建に際し、本丸の門として1838(天保9)年に完成したもので続櫓とともに国の重要文化財に指定されています。佐賀城に残る貴重な遺構で、明治7年の佐賀の役の際の弾痕が…
41佐賀県佐賀市にある佐賀城跡は、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城の跡。もとは戦国大名・龍造寺氏の居城だった村中城を、家臣でのちに佐賀藩主となる鍋島直茂、勝茂が拡張したもの。慶長年間に着手、1611(慶長16)年に完成しています。以来…
38愛媛県伊予松山藩2代城主・蒲生忠知(がもうただちか)の治世(1627年~1634年)に完成下と伝えられる二之丸。政庁である表御殿と、藩主やその家族の生活の場である奥御殿に分かれていましたが、表御殿跡にあるのが大井戸遺構。生活用…
38愛媛県松山城本丸の太鼓櫓・太鼓門・太鼓門東続櫓・巽櫓と連続する防備を抜けると、南北に長い本丸の台地に立つことになります。ここにあるのが本丸井戸。本丸の台地はもともと南北に長かったわけではなく、実は南峰、北峰の峰があり、その谷間…
38愛媛県十間廊下は天守の建つ本壇(天守曲輪)の西側を防衛する重要な櫓で多聞櫓形式。北隅櫓と南隅櫓を連結する通路にもなっていて、桁行が10間あることが名の由来です。天守西側の防備を担っており、石垣を登る敵兵に対して石を落とす石落し…
38愛媛県松山城本丸、北西を守る乾櫓(いぬいやぐら)の東側に位置する櫓が野原櫓。乾櫓に次ぐ歴史を有する松山城創建当初に建築された櫓です。本丸の北面、北西面を守る櫓で、現存する日本で唯一の望楼型二重櫓となっています。石落しや狭間など…
38愛媛県松山城の本壇(天守曲輪)、大天守北側に隣接する門が仕切門。北側の石垣の上には仕切門内塀が配されています。本壇内庭の北側の防備を固める高麗門で、天神櫓前の本壇広場に対する防備も担っています。ここを突破すると内庭(天守広場)…
38愛媛県松山城本丸の搦手(からめて=裏口)に位置するのが乾門(いぬいもん)。乾とは方角を表す言葉で、北西の意。乾櫓と乾門東続櫓に守られるような構造で、搦手の門の中で、最も重要な門となっています。かつては、乾門の前に乾一の門があり…
38愛媛県松山城本丸の乾(いぬい=北西)を守るの隅櫓が乾櫓(いぬいやぐら)。天守の建つ本壇(天守曲輪)の西に位置し、乾櫓・乾門・乾門東続櫓で、大手の搦手(からめて=裏側)を守っています。石落しを設け、弾丸が壁を貫くことがないように…
38愛媛県松山城の大手側登城ルートで本丸の筒井門をくぐった先の門が太鼓門。この先が天守の建つ本壇となります。西に太鼓櫓、東に巽櫓(たつみやぐら)が配された脇戸付の櫓門で続櫓が置かれ、太鼓櫓・太鼓門・太鼓門東続櫓・巽櫓と連続する強固…
38愛媛県松山城の天守がそびえる本壇、三ノ門を越え右に曲がるといよいよ大天守西の中庭に通じる筋鉄門(すじがねもん/東向き)。南に小天守、北の大天守に連続という重要な櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する大切な場所です。
38愛媛県艮(うしとら)とは東北の意。松山城の本丸の東北に位置する門で、艮門東続櫓とともに本丸東面の防御の要。いざという時には大手(表側)や搦手(裏側)から迫る敵兵を奇襲するため、この門から兵を出撃させる役目も担っていました。NH…
38愛媛県松山城の天守がそびえる本壇。強固な防御を誇る本壇ですが、二ノ門を過ぎると本壇の広場となり、登城道はここで左に屈曲して三ノ門となります。松山城・三ノ門は、北向きの高麗門(こうらいもん)で、西に大天守、南に三ノ門南櫓と筋鉄門…
38愛媛県松山城の天守の建つ本壇(本丸曲輪の天守が建つ中心部分)を守る門が一ノ門。西に向いた高麗門で、目の前(西側)には小天守が聳えています。門の南に一ノ門南櫓、門の北に三ノ門南櫓が配される防御態勢。二ノ門との間は枡形になっており…
38愛媛県松山城の天守がそびえる本壇。一ノ門をくぐり、9段の石段を上り左に折れると薬医門の二ノ門(南向き)が待ち構えています。つまりは二ノ門の名前のとおりにここが本壇二番目の門。二ノ門前の枡形(広場)は三ノ門南櫓、一ノ門、一ノ門南…
38愛媛県松山城の大手門から本丸を目ざすと、坂を上り、本丸・太鼓櫓の高石垣下で登城ルートは屈曲して戸無門(となしもん)に出ます。本丸の大手入口の最初の門で、慶長年間の創建当初から門扉がないのでと戸無門という名があります。敵を防備の…