松山城・戸無門

松山城の大手門から本丸を目ざすと、坂を上り、本丸・太鼓櫓の高石垣下で登城ルートは屈曲して戸無門(となしもん)に出ます。本丸の大手入口の最初の門で、慶長年間の創建当初から門扉がないのでと戸無門という名があります。敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いであえて扉のない門を配置したと推測されています。

本丸手前にあえて扉のない門を配置の理由とは!?

実際、戸無門には扉を付けた金具の跡もないのです。
登城道U字屈折の終点に位置し、門の手前で、乾門方面と戸無門方面へと通路は二手に分かれますが、実は乾門方面の道は行き止まり。通路も敵を攪乱する迷路となっているのです。

実は、この「敵を攪乱する迷路」というのが、この戸無門の戸が無い理由で、あえて、敵軍を素通りさせて、敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いがあったのです。

そんな意味深長な仕掛けのある戸無門は高麗門の建築様式で、寛永年間から正保年間(1624年~1647年)の建築と推測され、国の重要文化財になっています。

戸無門をくぐると筒井門前の腰曲輪(こしくるわ=本丸の横に配された最終防御の曲輪)となり、筒井門・隠門の防御ラインが待ち構えています。

松山城・戸無門
名称松山城・戸無門/まつやまじょう・となしもん
所在地愛媛県松山市丸之内1
関連HP松山城公式ホームページ
電車・バスでJR松山駅から道後温泉行き伊予鉄道市内電車で10分、大街道下車、徒歩5分
ドライブで松山自動車道松山ICから約6km
駐車場松山城駐車場(20台/有料)・松山市役所前地下駐車場(290台/有料)
問い合わせ松山城総合事務所 TEL:089-921-4873
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
松山城

松山城

愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の重要文化財に指定され

 

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