馬場先濠
東京都千代田区皇居外苑、環境省の国民公園になっているかつての江戸城の内堀の一部が、馬場先濠(ばばさきぼり)。南に日比谷濠、北に和田倉濠が続き、寛永6年(1629年)、日比谷濠との境には馬場先門が築かれています。馬場先門の…
東京都千代田区皇居外苑、環境省の国民公園になっているかつての江戸城の内堀の一部が、馬場先濠(ばばさきぼり)。南に日比谷濠、北に和田倉濠が続き、寛永6年(1629年)、日比谷濠との境には馬場先門が築かれています。馬場先門の…
滋賀県彦根市、彦根城下の中心にある浄土宗の寺が宗安寺(そうあんじ)。彦根藩初代藩主・井伊直政の正室・東梅院が安国寺を再興したのが始まり。もともとは箕輪城下(現・群馬県高崎市)にあった足利尊氏、足利直義開山の寺でしたが井伊…
摂津国八部郡兵庫津、現在の兵庫県神戸市兵庫区中之島の兵庫津にあった戦国時代の城跡が兵庫城(ひょうごじょう)。謀反を起こし、小寺孝隆(黒田官兵衛)を有岡城に幽閉した荒木村重を攻略した功績で、池田恒興(いけだつねおき)が築城…
長崎県長崎市立山、江戸時代、長崎奉行所立山役所があった跡地に建てられたミュージアムが長崎歴史文化博物館。江戸時代から近代にかけての海外交流に関する資料5万点あまりを収蔵、当時の長崎奉行所の部屋などを一部復元した「長崎奉行…
岡山県瀬戸内市牛窓にあり、港を一望する高台に建つ名刹、本蓮寺。江戸時代には西国大名の参勤交代の宿泊所として、また朝鮮通信使の接待所として客殿にある「謁見の間」が使われています。また客殿の庭は小堀遠州作と伝わる名庭で予約を…
岡山県瀬戸内市牛窓町、播磨灘に臨み西廻り航路、朝鮮通信使の風待ち、潮待ちの港として栄えた牛窓。「牛窓千軒」とも称された牛窓の繁栄を今に伝える通りが、しおまち唐琴通りです。古き家並みは、唐琴の瀬戸と呼ばれる海峡部に沿って、…
岡山県瀬戸内市牛窓町、風待ち湊、潮待ち湊としての歴史を有する牛窓港に建つ展示資料館が、牛窓海遊文化館。敷地は肥後藩が参勤交代で利用した宿舎跡。そして白壁漆喰のレトロな建物は、明治20年築の旧牛窓警察署本館(建築当初は西大…
広島県呉市の下蒲刈島(しもかまがりじま)、旧下蒲刈町の全島庭園化事業(ガーデンアイランド構想)で整備された「松濤園」のメイン施設が朝鮮通信使資料館御馳走一番館。江戸時代、朝鮮通信使の来日に際し、下蒲刈島では「安芸蒲刈御馳…
広島県呉市にある周囲16kmの下蒲刈島(しもかまがりじま)は、古くから瀬戸内海の要衝として栄え、江戸時代には朝鮮通信使も寄港した歴史ある島。島の東端に位置する松濤園(しょうとうえん)は、三之瀬瀬戸の急潮を借景として作庭さ…
栃木県日光市、上今市にある杉並木公園内に朝鮮通信使今市客館跡(ちょうせんつうしんしいまいちかきゃくかんあと)があります。朝鮮通信使をもてなすための迎賓館で、材料をわざわざ江戸から運び、1万両を費やして建築しています。日光…
静岡市清水区の興津(おきつ)、清水港や三保松原を望む高台にあり、「興津(おきつ)の清見寺」として知られる臨済宗の名刹。その歴史は古く、創建は7世紀頃と伝えられています。天文8年(1539年)、今川義元の軍師・大原雪斉によ…
山口県下関市にある浄土宗の寺で、晩年、豊臣秀吉に信任された小早川隆景(こばやかわたかかげ)の菩提寺が引接寺(いんじょうじ)。一帯の唐戸地区は文字通り、唐(中国)への戸(玄関口)。山陽道の起終点にもあたる交通の要衝で、江戸…
日光東照宮の陽明門前にあるのが朝鮮鐘と通称される鐘が下がる鐘舎。すぐ横に巨大な鐘楼がありますが、朝鮮鐘は鐘舎に下がっています。寛永20年(1643年)、竹千代(後の4代将軍・徳川家綱)誕生の祝賀に朝鮮通信使が香炉、燭台、…
広島県福山市の瀬戸内海交易で栄えた鞆の浦。壮麗な石垣の上に鞆の浦を見下ろすようにして建つのが千住院福禅寺です。山号を海岸山といい、天歴年間(947年〜957年)、空也創建と伝わる古刹。対潮楼はその客殿にあたり、元禄年間(…
戦国時代の初期、1528(享禄元)年に、宗将盛(そうまさもり)が対馬に築いた金石屋形(かねいしのやかた)を前身とする宗氏の居城跡が金石城跡。対馬市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょ…
鎖国政策の江戸時代、公式な外交を有した国が朝鮮国。1607(慶長12)年〜1811(文化8)年の間、合計12回の使節団(朝鮮通信使)が来日しています。李氏朝鮮の国王が派遣した使節、通信使が日本本土入りした最初の上陸地が、…