日光東照宮・朝鮮鐘

日光東照宮・朝鮮鐘

日光東照宮の陽明門前にあるのが朝鮮鐘と通称される鐘が下がる鐘舎。すぐ横に巨大な鐘楼がありますが、朝鮮鐘は鐘舎に下がっています。寛永20年(1643年)、竹千代(後の4代将軍・徳川家綱)誕生の祝賀に朝鮮通信使が香炉、燭台、花瓶(三具足)とともに持参したもので、朝鮮国王・仁祖(インジョ)から贈られたもの。

朝鮮国王・仁祖から贈られた銅鐘

朝鮮通信使は合計で12回(1607年〜1811年)来日していますが、初期の3回は日光にも参詣しています。
寛永20年(1643年)の朝鮮通信使は、寛永13年(1636年)に続く日光東照宮参詣2回目で、尹順之(いんじゅんし)を正使、趙絅を副使として派遣しています。
第1回目の寛永13年(1636年)は、日光東照宮の寛永の造営直後で、3代将軍・徳川家光の強い要望により、予定にない日光を遊覧しています。
2回目の寛永20年(1643年)は、徳川幕府との事前交渉で東照宮に国王親筆や銅鍾、三具足(香炉・燭台・花瓶)などを寄進し、江戸城における国書奉呈に劣らない重要な儒教式セレモニーを執り行なっています。

仁祖(インジョ)の治世に、清の冊封国(さくほうこく=中国王朝を宗主国とした従属国)となった朝鮮王国としては、中国への牽制、さらには日本の鎖国体制の見聞、そして日本との友好関係構築を目的に、徳川家康(家康は秀吉の朝鮮出兵で悪化した関係を改善し、「善隣外交」を旨とした友好的な政策を重視しました)の眠る日光東照宮に参詣したのです。
朝鮮鐘の銅は対馬産を使って鋳造しています。

香炉、燭台、花瓶の三具足は、徳川家康の墓所に置かれていますが、当初のものは文化9年(1812年)の火災で失われ、現存の三具足は日本で鋳造されたもの。

朝鮮通信使は現在の東武鉄道上今市駅近くの今市客館を宿舎にしていました(朝鮮通信使今市客館跡記念碑が立っています)。

名称 日光東照宮・朝鮮鐘/にっこうとうしょうぐう・ちょうせんしょう(ちょうせんがね)
所在地 栃木県日光市山内2301
関連HP 日光東照宮公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで勝道上人像前下車、徒歩10分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約3km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光東照宮社務所 TEL:0288-54-0560/FAX:0288-54-0061
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
日光東照宮

日光東照宮

徳川家康の遺言により徳川2代将軍・徳川秀忠が元和3年(1617年)に造営し、3代将軍・徳川家光が現在の形へと大改修(寛永の造替)を行なった徳川家康の霊廟が、栃木県日光市の日光東照宮。「日光を見ずして結構と言うなかれ」という言葉まで生まれた壮

 

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