牛窓海遊文化館(旧牛窓警察署本館)

牛窓海遊文化館

岡山県瀬戸内市牛窓町、風待ち湊、潮待ち湊としての歴史を有する牛窓港に建つ展示資料館が、牛窓海遊文化館。敷地は肥後藩が参勤交代で利用した宿舎跡。そして白壁漆喰のレトロな建物は、明治20年築の旧牛窓警察署本館(建築当初は西大寺警察署牛窓分署)で、国の登録有形文化財になっています。

勇壮な船型だんじりと朝鮮通信使を解説

明治20年、西大寺警察署牛窓交番所が西大寺警察署牛窓分署への昇格にともない建設された建物で、
設計者は牛窓の近代化に尽力し建築委員長を務めた香川真一(明治4年・岩倉具視一行と欧米視察、明治11年・大分県令、明治36年〜大正6年・牛窓町長)、大工は地元の森国吉(現在の街角ミュゼ牛窓文化館も森国吉の施工)です。
地元大工の棟梁によって建てられた当時流行の擬洋風建築で、半円形のステンドグラスが往時を忍ばせてくれます。
明治時代の牛窓港は、船舶出入数では岡山県下2位の貿易港だったのです。

牛窓海遊文化館の館内は2つに分かれており、「朝鮮通信使資料室」では、江戸時代、牛窓に寄港し御茶屋に滞在した使節団の衣装や、当時の風景画などを展示。

一方「だんじり展示室」では、牛窓神社『秋季例大祭』で町を練り歩くだんじり(山車)を展示。
牛窓のだんじりは竜頭をモチーフにした船型のものですが、精緻で迫力がある彫刻が施されています。
また玄関脇には、樹齢150年以上という大ソテツがありますが、これは牛窓の豪商、大庄屋奈良屋(那須家)の庭から移植したもの。

瀬戸内海舟運の湊町、牛窓の繁栄と衰退

寛永年間(1624年~1644年)、邑久郡牛窓村は藩から「在町」(ざいまち)に指定され、岡山城下と同様に自由な商売が約束されて、繁栄します。
岡山藩では、牛窓湊を幕府役人や諸大名、そして朝鮮通信使の接待湊(接待所の「御茶屋」を開設)として整備。
寛永17年(1640年)、「異国遠見番所」を設置して外国船の来航に備え、さらに船の運航を監視する「瀬戸番所」(船番所)、それらを統括する牛窓湊在番所を設け、瀬戸内海交通の要衝となったのです。
元禄8年(1695年)には、全長373間(678m)の「一文字波戸」(牛窓港沖にある防潮堤=現存して好釣り場になっています)を築造するなど、港湾整備も行なわれています。
西廻り航路の発展とともに、廻船問屋、材木商が軒を並べ、享保6年(1721年)の『備陽記』によれば、家数883軒、廻船(500石積み〜950石積み)13艘を有し、「牛窓千軒」といわれるまでに発展。

そんな牛窓湊の繁栄も江戸時代の後期には陰りを見せ、山陽鉄道(現・山陽本線)が開通した明治23年以降は衰退していきました。

牛窓海遊文化館(旧牛窓警察署本館)
名称 牛窓海遊文化館(旧牛窓警察署本館)/うしまどかいゆうぶんかかん(きゅううしまどけいさつしょほんかん)
所在地 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3056
関連HP 瀬戸内市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR邑久駅から両備バス牛窓行きで19分、牛窓下車、徒歩1分
ドライブで 岡山ブルーライン邑久ICから約7.5km
駐車場 9台/無料
問い合わせ 牛窓海遊文化館 TEL:0869-34-5505
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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