牛窓・しおまち唐琴通り

しおまち唐琴通り

岡山県瀬戸内市牛窓町、播磨灘に臨み西廻り航路、朝鮮通信使の風待ち、潮待ちの港として栄えた牛窓。「牛窓千軒」とも称された牛窓の繁栄を今に伝える通りが、しおまち唐琴通りです。古き家並みは、唐琴の瀬戸と呼ばれる海峡部に沿って、関町から東町(関町・西町・本町・東町)にかけて続いています。

牛窓のレトロな通りを散策

しおまち唐琴通り

12回来日した朝鮮通信使は、そのうち9回牛窓湊に寄港し、牛窓には接待所として御茶屋が設けられていました。
その御茶屋ができるまでの3回、朝鮮通信使の中心的な役割を担う三使の宿館として利用されたのが本蓮寺(室町時代建立の堂宇が現存)で、詠まれた漢詩9点は世界記憶遺産に登録されています。
朝鮮通信使を迎えるため岡山藩が築いた御茶屋(三使の宿館が本蓮寺から御茶屋に移動)の跡と御茶屋井戸などもゆかりの遺跡です。

そのほか、大正4年築でドイツ製赤レンガ造りの旧牛窓銀行本店(街角ミュゼ牛窓文化館)、昭和初期に建てられた旧牛窓郵便局、明治43年から15年間かけて建築された江戸時代の材木問屋「若葉屋」(東服部家)、天保年間創業の備中屋高祖酒造発祥蔵(酒蔵は天保年間、母屋は明治20年代の建築)、明治20年築の旧牛窓警察署本館(牛窓海遊文化館)、燈籠堂跡などがあり、白壁の土蔵や格子戸の家並みをのんびりと散策することができます。

本蓮寺〜関町は道路も拡張されることなく、江戸時代のままに残されています。
牛窓と岡山城下とは、岡山藩によって整備された牛窓往来(6里28町=27km)で結ばれていましたが、しおまち唐琴通りもその一部です。

港の沖合には元禄8年(1695年)、全長373間(678m)の一文字波止と呼ばれる防波堤が建造され、以降は西廻り航路(北前船)の船が入港できるようになっています。
津田永忠が花崗岩で築いた一文字波止も現存しています(改修工事で往時の雰囲気は失われています)。

牛窓・しおまち唐琴通り
名称 牛窓・しおまち唐琴通り/うしまど・しおまちからことどおり
所在地 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓
関連HP 瀬戸内市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR邑久駅から両備バス牛窓行きで15分、牛窓下車、徒歩3分
ドライブで 岡山ブルーライン邑久ICから約7.5km
駐車場 牛窓港岸壁周辺または牛窓海水浴場を利用(牛窓海水浴場は夏期は有料)
問い合わせ 瀬戸内市観光協会 TEL:0869-34-9500/FAX:0869-34-9501
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
牛窓海遊文化館

牛窓海遊文化館(旧牛窓警察署本館)

岡山県瀬戸内市牛窓町、風待ち湊、潮待ち湊としての歴史を有する牛窓港に建つ展示資料館が、牛窓海遊文化館。敷地は肥後藩が参勤交代で利用した宿舎跡。そして白壁漆喰のレトロな建物は、明治20年築の旧牛窓警察署本館(建築当初は西大寺警察署牛窓分署)で

瀬戸内市観光センター瀬戸内きらり館

瀬戸内市観光センター瀬戸内きらり館

岡山県瀬戸内市牛窓町の前島フェリーが発着する牛窓港にある観光案内所が瀬戸内市観光センター瀬戸内きらり館。瀬戸内市内の特産品を揃えた特産品販売コーナー、パンフレットなどを設置した観光情報コーナーがあるほか、レンタサイクルも用意されています。牛

街角ミュゼ牛窓文化館(旧中國銀行牛窓支店)

街角ミュゼ牛窓文化館(旧中國銀行牛窓支店)

岡山県瀬戸内市牛窓町、レトロな家並みが残る牛窓のしおまち唐琴通り沿いにあるのが街角ミュゼ牛窓文化館。旧中國銀行牛窓支店の建物(国の登録有形文化財)を再生したもの。牛窓はかつて瀬戸内海屈指の貿易港として栄えた町で、その名残をとどめる建築物の代

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ