能成寺
山梨県甲府市東光寺町、武田信玄の父・武田信虎(たけだのぶとら)の曽祖父である武田信守(たけだのぶもり)が貞和年間(1345年~1349年)に開き、菩提寺としたのが臨済宗の能成寺(のうじょうじ)。もともとは八代郡(現・笛吹…
山梨県甲府市東光寺町、武田信玄の父・武田信虎(たけだのぶとら)の曽祖父である武田信守(たけだのぶもり)が貞和年間(1345年~1349年)に開き、菩提寺としたのが臨済宗の能成寺(のうじょうじ)。もともとは八代郡(現・笛吹…
山梨県甲府市東光寺にある臨済宗妙心寺派の寺で、甲府五山に数えられるのが、東光寺(とうこうじ)。寛元4年(1246年)、南宋からの渡来僧で鎌倉に建長寺を建立した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の再興の名刹。蘭渓道隆ゆかりの見…
山梨県甲府市上積翠町にある臨済宗妙心寺派の寺が積翠寺(せきすいじ)。武田氏の詰城(つめじろ=敵方に包囲された際の最後の砦)である要害城の山裾にある城で、境内の巨石から泉が湧き石水寺と呼ばれた寺。武田信玄誕生の地ともいわれ…
長野県長野市小島田町、犀川と千曲川に囲まれた文字通り島のようになった部分が川中島。甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が死闘を繰り広げた川中島合戦の主戦場は川中島古戦場史跡公園(八幡原史跡公園)として保存されています。一騎討ち…
山梨県南巨摩郡身延町、下部温泉(しもべおんせん)にある武田信玄ゆかりの古湯が、古湯坊源泉館。古湯坊源泉館で注目は、戦国時代からあり、武田信玄も入浴したであろう巨大な岩風呂。「かくし湯大岩風呂」として源泉館館内に現存、日帰…
愛知県北設楽郡設楽町にある臨済宗妙心寺派の寺、福田寺(ふくでんじ)。境内には武田信玄を葬ったと伝える信玄塚、馬場美濃守の供養塔があり、信玄の墓所伝承地のひとつ。武田信玄は、天正元年(1573年)、野田城(現・新城市豊島)…
山梨県甲斐市竜王にある堤防が信玄堤(しんげんつつみ)。武田信玄の父・武田信虎は甲斐統一後、府中(甲府)に居館を移し、城下町の整備を行なっています。その子、信玄は天文11年(1542年)の釜無川、御勅使川の大氾濫を契機にし…
山梨県甲州市塩山藤木にある真言宗智山派の古刹が放光寺。武田氏の祖で、新羅三郎義光の子孫という安田義定が、元暦元年(1184年)に創建。源平合戦で功績をたてた甲斐源氏・安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創建した寺で、戦…
諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮(しもしゃあきみや)。中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点、下諏訪宿(現・長野県下諏訪町)に建ち、江戸時代にも街道を歩く旅人や大名…
埼玉県所沢市にある真言宗豊山派の寺が多聞院(たもんいん)。元禄9年(1696年)、川越藩主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が三富新田(上富・中富・下富)を開いた際、中富に毘沙門社(多聞院)を開いたのが始まり。明治初年の神…
甲斐の武田氏の発祥地、山梨県韮崎市の古社、武田八幡宮。社伝によれば弘仁13年(822年)、武田王の祠廟に宇佐神宮の分霊を勧請して創建したという古社。さらに清和天皇の貞観年間(859年~876年)に京・石清水八幡宮の分霊を…
武田信玄が八ヶ岳山麓に築いた軍用道路が信玄棒道(しんげんぼうみち)。上の棒道、中の棒道、下の棒道の3本が甲斐国から信濃国諏訪へと通じていましたが正確な経路は不明。既存の道を改修したのか、新道を開いたかも定かでありません。…
山梨市と甲府市を結ぶ山梨県道31号(甲府山梨線)の峠が太良ヶ峠(たらがとうげ)。帯那山(1422.4m)と棚山(1171.1m)の鞍部にあたり標高は 1123m。峠から尾根沿いに1分も歩けば方位盤のある展望台です。地元で…
川中島の合戦で、信州の善光寺焼失を恐れた信玄が、永禄元年(1558年)、御本尊の善光寺如来をはじめ、諸仏・寺宝類を奉遷するために建てた寺が甲府市に建つ甲斐善光寺(かいぜんこうじ)。寺の建つ板垣の郷は、善光寺を建立した本田…
長野市篠ノ井の亀見山光林寺は、嘉元元年(1303年)、現在地から少し北の三塚に創建され、天文16年(1547年)に現在地に移ったという浄土宗の古刹。境内には樹齢約300年のシダレザクラがあり、花の見頃は例年4月中旬~5月…
甲州市塩山にある臨済宗妙心寺派の古刹、恵林寺(えりんじ)。元徳2年(1330年)に、甲斐の守護職・二階堂貞藤(にかいどうさだふじ)が所領の牧荘を寄進し、夢窓疎石を招いて創建したと伝わっています。武田信玄の葬儀が行なわれた…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て…