本能寺
応永22年(1415年)、日隆聖人によって創建された法華宗本門流の本山が本能寺。天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀が主君である織田信長を裏切り、信長が自刃した「本能寺の変」で広く知られています。本能寺の…
応永22年(1415年)、日隆聖人によって創建された法華宗本門流の本山が本能寺。天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀が主君である織田信長を裏切り、信長が自刃した「本能寺の変」で広く知られています。本能寺の…
滋賀県長浜市南部を流れる姉川の野村橋一帯は、その川が血で染まったという激戦の地、姉川古戦場。織田信長の京・上洛途中にある小谷城の城主・浅井長政(あざいながまさ)は、織田家と盟友関係にありましたが、織田軍の朝倉攻めに際して…
熱田神宮の境内社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)。祭神の乎止與命(おとよのみこと)は古代の尾張国を支配した尾張国造(おわりのくにのみやつこ)で宮簀媛命(みやずひめのみこと=日本武尊の妃)の父。つまり、日本武尊の死後に…
熱田神宮の境内、一の鳥居(南門)の西側に鎮座する別宮で、和銅元年(708年)、阿倍宿奈麿(あべのすくなまろ)、多治見真人池守を勅使として、新造の宝剣を納めて創建したという古社が別宮八剣宮。祭神は本宮と同じ熱田大神(あつた…
織田信長は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)、今川義元迎撃に桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)出陣の際、熱田神宮に必勝祈願をしますが、見事に義元を討ち果たし歴史的な勝利を収めたため、そのお礼として築地塀(つい…
六角氏の観音寺城の外港として機能した中世の琵琶湖東岸の港、常楽寺港を守る木村城主の木村氏は、もともと沙沙貴神社をルーツとする佐々木氏の一族で(沙沙貴神社の神職)、常楽寺の在地領主。その居城となったのが現在の近江八幡市安土…
近江八幡市安土町にある常楽寺港舟入跡は、信長の居城・安土城の琵琶湖へ出るための重要な外港の跡。永禄13年(1570年)3月3日に織田信長が、近江国内から相撲自慢を集めて相撲大会を開いたのもこの常楽寺港です。この常楽寺港を…
京都屈指の規模を誇る禅寺、臨済宗大徳寺派の大本山が大徳寺。正和4年(1315年)に大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃しますが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が堺の豪商らの協…
JR琵琶湖線安土駅の南口ロータリー前にある城郭風の建物が安土城郭資料館。織田信長が築城した安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されています。外観5層内部7階で、内部は狩野氷徳(かのうえいとく)の襖絵や儒教、仏…
織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でし…
織田信長が築いた安土城(「日本100名城」選定)の天守は、信長の天下布武(てんかふぶ)の象徴だった建物で、安土城跡の本丸跡に天守台跡が残されています。天守5階は正八角形の「八角の段」となり宇宙をかたどっていました。内部に…
安土城の主郭部分に入る最初の関門が黒金門。黒金門跡には枡形虎口の石垣が現存しています。安土城の中でももっとも巨石が使われている場所で、訪れる人を圧倒しようという織田信長の意図が込められているのかもしれません。平成5年の調…
安土城の家臣などが登城に使った百々橋口に織田信長が創建した寺が、摠見寺。天正3年(1575年)〜天正4年(1576年)、甲賀の長寿寺(現・滋賀県湖南市)から移築したもので、国の重要文化財に指定されています。
安土城築城に伴って、織田信長が安土城内の百々橋口道に築いた真言宗の寺が摠見寺。二王門は摠見寺創建時に近江国甲賀郡柏木神社(現・滋賀県甲賀市水口町)から移築したと伝わり、国の重要文化財に指定されています。創建当時は真言宗の…
安土城の大手道と通用口である百々橋口道、さらに七曲道との合流点という要衝に位置するのが織田信忠邸跡。織田信忠は、織田信長の長男で、織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主となった信長の後継者。甲州征伐では、総大将を務めて…
安土城の主郭部分(三の丸、二の丸、本丸)の入口、黒鉄門(くろがねもん)へと続く大手側(玄関側)の登城ルートが大手道。発掘調査前の大手道は、安政時代に拡張した摠見寺(そうけんじ)の石垣で遮断されていました。平成6年に解体し…
愛知県西尾市にある「西尾の抹茶」のルーツとなる寺。西条領主・吉良氏の菩提寺として3代・吉良満氏(きらみつうじ)が文永8年(1271年)に建立した寺。東福寺の聖一国師(円爾=えんに)を迎え開山式を行ない、宋(中国)・経山寺…
7月の『津島天王祭』で有名で、全国に3000社ある天王社の総本社・津島神社の横にある公園。大正9年に佐屋川の支流・天王川の名残りの池を中心に開設された公園です。舟運が盛んだった時代には津島湊(つしまみなと=川湊)として尾…