日本ループ橋総覧(6)人吉ループ橋&大畑ループ
中九州と南九州を結ぶ幹線国道の国道221号(肥後街道・飫肥街道)。明治10年2月15日、西郷隆盛が交通の難所といわれた雪の加久藤峠(かくとうとうげ)を越え、熊本城の攻略に向かっています。加久藤峠は、加久藤カルデラ外輪山の…
中九州と南九州を結ぶ幹線国道の国道221号(肥後街道・飫肥街道)。明治10年2月15日、西郷隆盛が交通の難所といわれた雪の加久藤峠(かくとうとうげ)を越え、熊本城の攻略に向かっています。加久藤峠は、加久藤カルデラ外輪山の…
徳川幕府を倒し、明治新政府の樹立に貢献した維新の三傑とは、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)、そして木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩)の3人。故郷などに建立される銅像ですが、人気の西郷隆盛は主なものだけでも…
山口県山口市、香山公園(こうざんこうえん)・墓所東に移築されている歴史的建造物が、枕流亭(ちんりゅうてい)。幕末の慶応3年(1867年)、この町家2階の畳敷きの一室に、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らが訪れ、桂小五郎(木戸…
徳川幕府を倒し、明治新政府の樹立に貢献した維新の三傑とは、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)、そして木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩)の3人。西郷隆盛、大久保利通は石碑、標石があるのみですが、大久保利通は生…
徳川幕府を倒し、明治新政府の樹立に貢献した維新の三傑とは、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)、そして木戸孝允(きどたかよし/長州藩)の3人。西郷は征韓論で下野し西南戦争で没していますが、維新の立役者は3人とも明治1…
鹿児島県鹿屋市高須町、川津神社境内にある露岩が、キス岩(西郷岩)。西郷隆盛ゆかりの地(田中吉右衛門邸にたびたび滞在)という高須地区なので、人面岩には西郷岩と名がつくのも納得がゆきます。高須橋近くの崖にある岩で、地元ではキ…
鹿児島県大島郡龍郷町、鹿児島県道81号(名瀬龍郷線)沿い、龍郷集落の白間地区にあるのが、西郷南州流謫跡(さいごうなんしゅうるたくあと)。西郷隆盛が奄美大島に潜居した時期の妻・愛加那と子・菊次郎のために建てた新居で、文久元…
鹿児島県大島郡和泊町、沖永良部島の玄関港・和泊港近くにある和泊町立のミュージアムが、西郷南洲記念館。西郷隆盛は、島津久光の怒りを買って、徳之島さらに、沖永良部島に遠島となり、沖永良部島では1年7ヶ月の牢生活を送っています…
鹿児島県大島郡和泊町伊延、沖永良部島の北岸、東シナ海に面した伊延港に立つのが、西郷隆盛上陸の地碑。文久2年閏8月16日(1862年10月9日)、薩摩藩主・島津久光の命に背いたことで怒りを買った西郷隆盛は、沖永良部島に遠島…
鹿児島県大島郡天城町にある、西郷隆盛が二度目の遠島で徳之島に2ヶ月ほど滞在した西郷隆盛謫居跡(さいごうたかもりたっきょあと)。文久2年7月5日(1862年7月31日)、徳之島に上陸した西郷隆盛は、岡前(おかぜん)地区の松…
鹿児島県大島郡天城町、島西岸の平戸野港の北側、湾屋川の河口に立つのが、西郷南洲翁上陸記念碑(さいごうなんしゅうおうじょうりくきねんひ)。文久2年(1862年)、西郷隆盛が島津久光から二度目の遠島処分を受け、沖永良部島に送…
熊本県人吉市土手町にある人吉藩(相良家)家老を勤めた新宮家の屋敷跡が武家蔵。西南戦争の際に西郷隆盛の宿営地となったため、往時(新宮嘉善の屋敷)の建物は官軍の砲弾で焼失、入口の堀合門(ほりあいもん)は人吉城から移築したもの…
宮崎県えびの市にある白鳥温泉上湯は、征韓論に敗れた西郷隆盛が湯治に訪れ、明治7年7月〜10月の間逗留。加久藤カルデラを起源とする加久藤盆地を眺望する宮崎県道30号線えびの高原小田線・霧島バードライ沿いにある道の泉白鳥には…
薩長同盟締結直後の慶応2年1月23日(1866年3月9日)、京・伏見の「寺田屋事件」で龍馬は負傷し、寺田屋事件でも助けられた薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)、西郷吉之助(西郷隆盛)の勧めで妻・おりょう(お龍)と温泉療養…
鹿児島県霧島市にある日当山温泉(ひなたやまおんせん)は、鹿児島の奥座敷として栄えた地で、西郷隆盛やその招きで薩摩にやってきた坂本龍馬も浸かっています。数寄の宿野鶴亭(すきのやどやかくてい)は数寄屋造りの老舗宿で、雰囲気あ…
徴兵制、廃刀令は、旧士族にとっては許せないことで、明治9年10月24日の熊本県士族の神風連の乱を皮切りに、27日の福岡県士族の秋月の乱、28日の萩の乱と不平士族の乱が連続。それが西南戦争へと発展。総大将となった西郷隆盛は…
大久保利通(薩摩藩出身)、木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩出身)とともに「維新の三傑」といわれたのが西郷隆盛。文政10年12月7日(1828年1月23日)、薩摩国鹿児島城下の加治屋町山之口馬場(下加治屋町=現・鹿…
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で島津家は西軍に属しますが、徳川家重臣・井伊直政の取りなしで領地を安堵され、島津義弘の三男・島津家久が当主となり鹿児島藩(通称薩摩藩)を立藩。慶長7年(1602年)、初代藩主・島津家久…